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暴力の連鎖と無償の愛

私が通っていた中学は少々荒れていた。授業を受けずに教室の外で徘徊している生徒が6人ほどおり、外に配置されていた掃除用具が入ったロッカーを蹴り飛ばしてボコボコにしていた。

私は身体が小さく非力だっため、彼らに目をつけられないようにひたすら頭を低くして過ごす日々だった。

教師たちも時折止めに入るのだが、授業や部活動などの仕事もある中で彼らの相手をするのは限界がある。

中学生3年生になるとベテラン教師のクラスに例の問題児6人が勢揃いしており、教師の間でも押し付け合いがあったのだろうなと推測された。

破壊衝動を満たすだけならば公園などでゴミ箱を蹴り飛ばす形でもいいはずだ。あえてみんなの目に届く場所でやっているのは、自分達に注目してほしいという一種のSOSだったのだと今になって思う。

彼らは両親が不仲であるという噂も聞こえていた。多感な時期に愛情を十分に得られなかった人間は社会常識から外れた行動をとりがちだ。人類は今日に至るまでさまざまな共同体を築いてきたが、両親以外から無償の愛を得る方法を未だに見出せていないようである。

今まで当たり前に通っていた居場所がなくなることの喪失感からだろうか、卒業式で一番号泣していたのは彼らだった。

社会人になって数年経ったある日、夏休みで実家に帰っていた私はたまたま本屋で彼らのうちの2人に出くわした。向こうはすぐに私に気づき、おおっ、とお互いに一声挨拶し合ってそのまますれ違う。

格好からしてとび職に就いたようだ。中卒で就ける職業には限りがあったのかもしれないが、とにもかくにも稼ぐ手段を得ていたのはよいことだと思った。

社会との繋がりを持つ中で大切だと思える人に出会えれば、心の隙間を埋める機会はきっとあるはずである。

彼らが賢明だったのは、腕っぷしの強さをもとに学校の外側で暴力を振るわなかったことだ。

漫画『東京リベンジャーズ』ではケンカの強さを頼りに暴力を振るいながら勢力を拡大する様子が描かれているが、そこから生み出される憎しみの連鎖は普遍的な教訓を私たちに授けてくれる。

上には上がいるというやつで、ケンカが強い人間は世の中にごまんといる。自分よりも強い人間に叩き潰されると、そこから先は奴隷のような扱いを受ける。

では、天下無双と言われるぐらい強い人間は問題ないか?その場合、恨みを持った人間は報復のために宿敵の周りにいる大切な人に狙いを定める。

いくら戦闘力が高くても、大切な人を失い孤独になると心が蝕まれる。仮に暴力によって勢力を拡大したとして、それは果たして幸せといえるだろうか。

人間がさまざまな法規制により社会から暴力を排除しようとした背景が、この漫画を読み進めるうちに見えてくる。大ヒットするのも納得の内容である。

以前に指導を受けた塾の先生が「愛は世界を救うんだよ」と言っていた。高校生だった頃の私はその意味がピンときていなかったが、今は一周回ってこの言葉の重みを感じる。

「たまたま愛情を受けることが叶わなかった人間」の存在は、今でも脳裏に焼き付く得難い人生経験の一つだ。

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