長時間労働を誘発する先入観たち

長時間労働が染み付いている私だが、なんでついつい長く働いてしまうのだろう、と振り返ってみることにした。

努力と成果の相場観

まっさらな新人でもない限り、「これぐらいの成果を出すには、必要な努力はこれぐらいだ」という、"努力の相場観"というものを誰しもが持っているはずだ。

これがないと所要時間の予測を出すことができないので、計画立てた仕事には必須の要素である。

ところが、任される仕事の規模や難易度が高まってくると、この相場観が現実と合わなくなってくる。

で、長時間労働が習慣づいている人間は必要な努力量をついつい多く見積もってしまうのだ。仕事にかかる時間は、あらかじめ見積もったものより短くなることはまずない。

仕事をすればするほど、「ほら、やっぱり自分の思った通りだ。この仕事は長い時間がかかるものなんだよ」と思い込みが強化されてゆく。

みなさんの職場で残業している人の顔ぶれはいつも同じではないだろうか。それは残業の自己暗示にかかっているからである。

自分が詳しいやり方へのこだわり

人は自分の知識が多い選択肢についつい引き寄せられてしまう。そのため、効率の良さに対する吟味が甘くなる。

実体験の話をすると、ここ最近の私はとある課題にぶち当たり、何日も遅くまで残業して解決案を考えていた。

そこで考えた渾身の解決案を偉い人たちにぶつけに行った。

すると「いや、それは費用対効果が合わない可能性が高いから、一番安い解決策でシステムリリースしよう」と返され、私の残業は一瞬で塵となった。

偉い人たちはさらに続ける。

「本稼働後にもし問題が生じたら予算を取って追加開発になる。その場合は提案してくれた方法よりも、もっと手前で根本策をうちに行く方が本筋だな」

私は自分の詳しい分野で解決策を必死に考えたが、もっと俯瞰で見れば遥かに効率の良い対応策が転がっていたのだ。

知的労働の恐ろしい側面である。

障壁を大きく見積りすぎる

「あの人とは話すのはなんだか気後れする」という心情が邪魔をしてモジモジしている間に時間が過ぎている。

ところが、話してみたら相手が予想よりもずっとフレンドリーで、アドバイスをいくつかもらった瞬間に一気に視界が開けることがある。

「案ずるより産むが易し」という諺は本当にその通りで、事前のクヨクヨしていた時間は完全に無駄になる。

では、どうやったらこういった先入観を解きほぐすことができるのだろうか。

①仕事から距離を取る・・・ちゃんと休むことも仕事だ

②別の視点を取り入れる・・・時間術の本を読んだり、職場の人たちを観察して、自分とは異なる仕事の進め方を知る

③過去の仕事の進め方を振り返る・・・「自分が前にやったあの仕事はどうやったらもっとスムーズに進められただろうか?」という視点で振り返る。

上記のうち③はできている人が本当に少ない。仕事で疲れた後に、さらに腰を落としてじっくりと仕事のことを考えることだからだ。残業が癖になって毎日疲れ切っている人なら尚更抵抗感を持つはずである。

とりあえず、今週末はポケモンとnoteへの投稿による振り返りで週明けに向けて英気を養ってゆきたい。

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