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私とジビエ:3 小学校の時の夢

小学校五年生か6年生だったか、将来の夢を絵に描くという課題があり、私は冒険家になりたいと、ライオンやキリンなどに囲まれている自分の絵を描いたことがある。ステレオタイプのアフリカの風景だ。インドア派で、トロくて、出不精で、運動も苦手で、家の中でお絵描きしている方が好きだった引っ込み思案の子供だった私が、一体どこでそういう夢を見たのかわからないのだが、やがて二十代の時に、ヨーロッパからケニヤに一人で旅行したのだ。マサイ族は、村の男総出で狩をする。

当時私は冒険家に憧れてケニヤに行ったけど、結局その時はお金を払ってサファリキャンプに参加するのが積の山。体力もないし、一人でそういう場所へ乗り込むのも難しい。そんな現実の自分に興醒めして、もう放浪はやめようと決意して日本に戻ったのだった。

バブル期後半の東京での生活は、そういう自分の一部を諦めて、デザイナーもどきをしてボチボチ華やかな世界で美味しい思いもしていたわけだが、東京での生活もそれ以上は上昇の兆しは見えず、結局結婚後出産を機に、田舎暮らしを決意。

ある意味専業主婦になって、自分の人生の多くをあきらめてしまった様にも見えていたのが、冒険家もどきをを、還暦間近に味わえる事になろうとは、、、、正に、小学校の時の夢が、ここでまた芽を拭いたのだ。マサイならぬ、ミヨリジニの憧れの狩猟デビューだ。

剥ぎ取った肉を袋に詰めて、なんとか冷凍庫に詰め込んだ。その時はもう冷凍庫の中が、いっぱいになった感じがした。そんなに食べきれないし、鹿肉は食べづらい、そういう固定観念があったからだ。でも、後から思うと、実はそれ程大した量ではなかった。だって、全部の肉を削いだわけじゃないから。当初は、全てが初めてで、私の力量目一杯の事で、控えめに保存する肉をとりわけておいた。

猟師の友人は、家にあんまり肉を持ち帰ると、冷凍庫がいっぱいになりすぎて、パートナーから叱られてしまうのだとか。食事を日々作る主婦として、その気持ちは、わかる。在庫管理も大変だし、工夫しないと、一癖ある肉だし。

それでも、これだけ余るほどの材料が手に入ったわけだから、色々やってみようじゃないかと。失敗したら、鶏にあげてしまっても良いし。これも一つのチャンスと受け取って。

(文:ユリ)

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