金融機関に勤めていた私がAIベンチャーを創業するまでの話
皆さま初めまして。落合真理子と申します。
前職は金融機関に勤めておりましたが、この度、echo(エコー)というAIベンチャーを創業いたしました。
創業に至るまでの過程を振り返りつつ筆を執りましたので、少しでもご興味をお持ちの方は、ご一読頂けますと幸いです。
なお、全文を通して敬体ではなく常体で記述しております。自叙伝として、常体の方が簡潔に伝えられると考えたためですので、ご容赦くださいますと幸いです。
1. 日本の未来への願いと私の挑戦
私は日本が好きだ。
政治を全肯定しているわけでも、国家の制度に物申したいことが無いわけでもない。
とはいえ選挙の投票以上の政治運動をしようとは思わない、そんな普通の日本人だと思う。
それでも普通の日本人らしく、色彩豊かな四季、四方を囲む美しい海洋、そして日本の文化や国民性に関してはそれなりに誇らしく思っている。
これら全てを支える軸として日本の国力があり、国力としての経済力があってこそ自国の原風景を保つことができる。
そして国力としての経済力は、確固たる科学技術力に裏打ちされている。
確固たる科学技術力に。
現代社会は先進国に非常に有利な構造をしており、途上国・後進国が先進国入りするのは困難である一方、先進国が先進国から脱落することは余程のことが無い限りあり得ない。
「世界には4種類の国々がある。先進国と発展途上国と日本とアルゼンチンだ。」
今から50年ほど前、ノーベル賞経済学者であるサイモン・クズネッツに言われたこの言葉は、世界は先進国と発展途上国に揺るがず二分されており、途上国から先進国入りを果たした日本と、先進国から途上国に脱落したアルゼンチンが極めて異例であることを言い表している。
日本の科学技術の優位性を盲信し、国としての明るい未来に疑いを抱いていなかった私としては、この言葉を知ったときも、ただの洒落としか捉えられていなかった。
後述する或るきっかけにより、確固たるものであったはずの科学技術領域で他国に遅れを取っており、日本の先進国としての地位が揺るがされていることを知ったとき、クズネッツの言葉は実に皮肉めいて感じられた。
日本の衰退が悔しい。
日本の経済を繁栄させた先人たちに申し訳ない。
先進国としての矜持を保ち、日本の文化や原風景を守りたい。
アイデアはあった。
十分な額とは言い難いが、自己資金もあった。
私にできるのか。
私がやらなくても、同じようなことをそのうち誰かがやるのではないか。
その誰かが現れるのを待ち、今まで通りの生活を続けるべきではないか。人並み以上にお金が欲しい訳でもない。
そもそも私に思い付く程度のアイデアに価値はあるのだろうか。
ネガティブな感情は無限に湧いてきた。
それでも、日本の未来を切り拓きたい、この想いは揺るがなかった。
やるしかない。
「やるしかないのであれば、成功させなければならない。」
いつか見た小説の一文は、私の人生の行動指針になっている。
それから私は、構想するサービスに一定のニーズがあることを見定めた上で、上述の想いに共感するAIエンジニアらと共に株式会社echoを創業した。
ここから先は、創業時の想いの備忘録として、私の人生の歩みを記述していこうと思う。
2. 幼少期の価値観と自己形成: 長野県北信地方での成長
私の生まれ育った長野県の北信地方は、豊かな自然と農業が魅力の田舎町である一方で、近隣に地方中心地である長野市があり、それなりに生活の利便性が良く住みやすい街だった。
個人的なお気に入りは、北信五岳と呼ばれる雄大な山々の眺めだった。遠くに見える山々は青く、冬になったら雪が積もり、四季折々の表情を見せる。
余談だが、私の住む地域では野生の猿が生息しており、路上で見かけるどころか、自宅の庭に出現することもある。
初めは驚愕と恐怖が勝っていたが、慣れてくると可愛いもの(流石に近づけないけど)なので、自然との共生を目指す人には長野県北信地方をオススメしたい。
私の家庭はあまり裕福とは言えず、欲しい物がすぐに手に入る環境では無かった。
小学生の頃、周りの同級生は自転車に乗って移動するところを、私は自転車を買ってもらえず、1人だけ歩いて移動していた。
日々の生活のやりくりに苦慮する両親に買ってとは言い出せず、また、駄々をこねて困らせたくもなかった。
「幼少時代にお金に余裕が無い環境で生まれ育った人間は、大人になってからお金に対する執着心が人一倍強くなる。」
よく言われる言葉だが、当事者として私個人に関して言うのであれば、この言葉はむしろ逆で、お金以外の価値を見出すことに長け、お金そのものに対する執着心は薄くなった。
劣等感が全くなかったと言えば嘘になるが、お金がなくても日々の生活には特筆して不満は無かったし、なにより、お金を使わずとも日々の生活を充実させるマインドを身に付けられたことを思えば、得難い経験値を獲得できたと感謝すらしている。
誤解の無いように記載しておくが、お金があること自体は、選択肢の幅が広がるという意味において大切なことだと考えている。思考法として大事なのは、お金自体に価値を見出すのではなく、お金を使った先の価値を見出すことにある。
幸いにして、私の身の回りには雄大な自然があり、お金を使わない娯楽(家族で登山をしたり、友人とサワガニを捕りにいったり)は豊富だった。家族のイヌ/ネコと一緒に、刻一刻と変化する山を彩る雲を眺めていた時間は代えがたく贅沢であり、今でも鮮明に思い出せる。
そんな環境下に身を置いていたからだろうか。決して裕福ではなかったが、笑顔の多い家庭であったように思う。
両親からあまり説教じみたことを言われたことは無いが、唯一、"人や物事に対してまっすぐで在りなさい"とは、幼少の頃より繰り返し教えられてきた。
幼少期の私は両親の言葉に倣い、ひたすらまっすぐであろうとした。
例え、回り道となったり自身が不利益を被ったとしても、自分の心の中の善意には忠実に生きたいと思っていた。
落とし物を見かけたら必ず届け出ていたし、困っていそうな人に対しては、自ら声をかけて少しでも力になろうとした。
その反面、融通が効かず聞き分けのない人間であったように思う。道理に合わないことに対しては強硬に反発してしまう。
そして、この"道理に合わない"は、断片的な情報に基づく自らの価値観においての"道理に合わない"ということであり、今になって思えば、独善的かつ偏狭的な思考で迷惑をかけてしまったことも多々あると思う。
それでも、不思議と人の縁には恵まれていた。
例えば、如何にも悲しい上述の"自転車を買えず1人だけ徒歩で移動していたエピソード"については、周りの友人たちが自ら自転車を降り、歩調を合わせて移動してくれていた。
当時の私にとっては、誠実に行動した結果として人々との縁に恵まれていたと考えていたし、自分自身をある程度は客観視できるようになった今でも、この考えは大きく外れていないと思っている。
これらの幼少期の経験を通じて「お金に対する価値観」と「誠実な生き方」を身に付けられたことは、私の自己形成における大切な財産だと言える。
3. 日本文化と歴史への関心: 大学での学びと成長
高校では、文理選択に思い悩んだ記憶が色濃い。
文系科目と理系科目のどちらにも苦手意識は無かったので、どちらに進んだ場合にもそれなりに上手くやっていける自信はあった。
当時は就職を希望する業種のイメージも明確に持てていなかったため、大いに悩んだ。
大いに悩んだが、結局は日本の風土/文化/歴史/伝統などに惹かれており、大学ではそれらを学びたいと考え、進学先を見据えて文系を選択した。
結果としてこの選択が良かったのかは今でも分からない。
生活を豊かにする革新的な技術を開発するエンジニアにも憧れがあり、もし理系を選択していたとしたらどうなっていたのだろうと思いを馳せることもあるが、確かに言えることは、私は相当に運が良い方であり、少なくとも間違った選択はしていないという自信がある。
良い未来と悪い未来の2択ではなく、2種類の良い未来の選択だ。
大学では、高校の頃の想いをそのままに日本語・日本文化を専攻していたが、想定よりずっと多くの学びが得られたことは嬉しい誤算だった。
学びについて語りだせば止まらないのだが、話が脱線しすぎてもいけないので(手遅れかもしれない)、簡単に1点のみ残しておきたい。
日本文化の研究では、記録から当時の歴史的人物の行動/思想を正確に理解することに重点が置かれていることは間違い無いが、その歴史的人物の行動/思想が社会に放り込まれた際に、当時の人々がどう思い、何を感じていたのかを明らかにすることもまた重要視される。
当時の私は現代社会においても、"中心的人物"と"その他の人物"というように二極化して物事を捉える節があったが、この研究を通して、一人ひとりの思考に目が向くようになった。
ありきたりな言葉にはなるが、視野を広げられ、視座が高くなったことで、これまでより多角的に思考できるようになったと感じている。
余談だが、私自身は幕末から明治維新までを研究対象として、当時の歴史を紐解いていた。
今でも幕末の歴史は好きなので、幕末好きの方と是非語り合いたい。
4. 情報の非対称性: 金融業界の経験とAI後進国の衝撃
大学を卒業した後は、金融機関に就職した。
私の専攻では、金融業の他には教育産業や情報産業などが主要な進路だったが、より多くの人々と関わり、個人/法人を問わず貢献できる業種として金融業を希望した。
金融勤めの頃は、紙ベースの仕事など色々と思うところはあったが、周りの人には恵まれており、それなりに満足のゆく生活だった。
仕事では、顧客に対して金融商品を売り込む必要があるのだが、信念として、ひたすら誠実であろうとした。
金融商品は広範かつ多種多様に存在し、それぞれの商品には異なるリスクとリターンがある。そのため、顧客が適切な商品を選択するためには、流動する環境を適切に捉え、市場動向や商品の信用力、顧客自身の状況を詳細に把握する必要がある。
これには専門的な知識や情報収集が求められるため、どうしても顧客との間に情報の格差が生じる(情報の非対称性)。この格差を最小限に抑えるため、自身が把握している情報は包み隠さず全て伝えた上で、顧客の身になって考えるよう意識していた。
正直なところ、短期的な売上だけを意識するのであれば、非対称性を甘受して利益を上げることはできた。実際、契約締結直前にリスクを念押しした結果、契約に至らなかったケースも相当数存在した。念押ししなければ、そのまま契約に結び付けられていたと思う。
ただ、そのようなやり口が長くは続かないことは直感的に理解していたし、仮に契約件数を伸ばし続けられていたとしても、人から不信感を抱かれるような選択は精神衛生上悪く、取りたくなかった。
そんなことを続けていくうちに、それぞれの顧客から信頼を獲得でき、結果として多くの顧客を抱え、店舗でも随一の預金額を生み出すことができた。
このような仕事の進め方をしていたからか、顧客からは数多くの相談が寄せられていた。
預金や取り扱っている金融商品に関わる相談はもちろん、プライベートな相談や他行の金融商品に関する相談まで。
顧客の中にはAI/DX分野のITベンチャー企業も含まれており、ある時、企業訪問中に世間話をしていたときに聞いた言葉の衝撃は今でも忘れられない。
「日本はAI領域では間違いなく後進国ですよ。世界に対する競争力は相当に弱っていると思います。」
5. AI領域の日本の存在感: 実情と光明
恥ずかしながら、この時まで日本は世界をリードする技術大国であると信じていた。
曰く、AI技術はオープンな領域にあり、公開されている技術をそのまま使うだけであればそこまでハードルが高いわけでは無いが、技術の中身を詳細に理解し、新たな革新的な技術を生み出すことができる人数は相当少ない、という話だった。
終業後に自宅で情報を検索すると、何故これまで把握できていなかったのか分からないほど、日本の現状に警鐘を鳴らす記事が数多く存在した。
調べた限りの情報を勘案するに、世界経済の中で日本が存在感を発揮するには、AI領域を始めとする世界的な成長産業で他国をリードしなければならない、ということは間違い無いように思えた。
少々飛躍した論に感じられるかもしれないが、個人的な意見として、風土も含めて日本が日本らしく在り続けるためには成長産業における優位性の確保は不可欠であると考えている。
それからは、AI技術と日本の置かれている立ち位置についての理解を深めようと、何冊かの専門書を読んだ上で、CVPR/ECCV/ICCVといったCV (computer vision) 系の国際会議を中心に論文を調査していた。
今でこそAIスタートアップを立ち上げているが、当時は起業を意識しておらず、純粋に自分の目でAI技術の最前線を見た上で、技術の趨勢を肌感覚で掴みたいと考えた上で始めたことだった。
結局、初学向けの技術書に関してはある程度理解できたものの、先端研究論文の詳細までは理解できなかった。
他方で、先端研究で盛んに取り組まれている技術領域のトレンドやレベル感については掴むことができ、この点においては非常に有意義な活動だった。
もう一つ、論文調査の過程において、日本人著者の少なさと中国人著者の多さの対比が顕著に感じられた。
AI領域における中国の存在感の大きさは様々な記事や専門書で取り上げられており、言葉としては理解していたつもりだったが、実際に目の当たりすると衝撃的な光景だった。
百聞は一見に如かずとはよく言ったものだと思う。
一方で日本人著者は相対的な数で言えば少なくはあったが、それでも一定数は存在し、多くの技術領域で卓越した成果を上げられていた。
中国の台頭に面食らった部分はあるが、日本は日本で世界と戦える技術力を持つ方々が数多くいらっしゃることが理解できた点は、日本が国としてAI領域で存在感を発揮するための一縷の望みが残されているように感じられた。
6. 日本のAI戦略: 技術単独戦の厳しさと産業との融合への挑戦
事実として、日本が純粋に単独の技術としてのAI領域で戦っていくには分が悪いように感じられる。これから数年間、国家レベルでAI技術者の育成に注力したとしても、現時点で彼我のリソースの差が大きすぎて、トップカンファレンスに論文を採択させられるレベルの技術者が他のAI大国に比肩しうる程に輩出されるとは思えない。第一、それは国がやる領分だった。
では日本がAI領域で他国をリードする未来は訪れることは無いのかと問われれば、そうではない。
AI領域における日本の権威である松尾豊先生(東大教授)も仰られているが、重要なのは産業レベルで他国をリードすることであり、日本はモビリティや電機を始めとした製造業に強みを持っている。
ただし、現状では産業レベルの勝利を収めていくというストーリーにも陰りが見える。
モビリティやロボット、電機などの日本の強みである産業に紐づいたAIベンチャーは数多く存在するが、各産業を代表する大企業と強固に連携している企業は少なく、また、連携している領域も限定されているため、産業とAIの融合が円滑に進められていない。
融合が円滑に進められていない一因には、日本特有の課題でもある、人の流動性の低さも関与していると考えている。
昔ほど一つの企業に一生勤めることがスタンダードでは無くなったものの、未だに他国と比較すると転職という選択肢の心理的なハードルは高く、企業間の人の往来は少ない。
人の流動性の低さは即ち、技術の流動性の低さでもある。
前述の企業間の協業状況も併せ、産業領域とAI技術領域を繋ぐ線は細く、極めて深刻な状況に陥っている。
この状況を解決するために発案したのが、echo(エコー)だった。
7. 画像認識AIのスポット技術支援サービス: echo
echoは、産業領域とAI技術領域を強固に結びつけるためのプラットフォームとして考案した。
具体的には、企業からの局所的な技術支援依頼に対して、依頼要件に対応可能なAI技術の保有者(大学/研究機関/企業を問わず)が、アドバイザーとして支援を実行するサービス。
詳細はサービスのWebページに記載しているが、以下のように企業側/アドバイザー側の双方に利がある仕組みを構想した。
【企業】1. ピンポイントで技術サポートを受けられるため、費用対効果が高い。2. 画像認識AI内の各領域に網羅的に対応可能であるため、技術領域にマッチした委託先を探す手間を削減できる。
【アドバイザー】1. 自身の技術や知見を活かせる案件に参画できるため、報酬に対する時間効率が高い。2. 必要工数や時期を加味して案件を選択でき、自由な働き方が可能。
なお、echoではAI技術領域の中でも、画像認識AIを主軸に据えている。音声認識AIや自然言語処理AIも重要であることは理解した上で、限られたリソースの中で、より日本の強みの産業との親和性が高い領域として、画像認識AIに重点を置いた。
全ては技術の流動性を上げ、産業領域とAI技術領域の融合を加速させるための構想だった。
上手く機能すれば、日本がAI領域で返り咲けるのではないか。
期待は大きく、調べる限りではAI領域に特化した類似のプラットフォームも存在しない。
だが、手持ちの費用を投入してプラットフォームを構築する前に解決すべき課題も2点存在した。
1点目はニーズの裏付けが無いこと。
企業側/アドバイザー側の両者からの率直な意見が欲しかった。サービスを立ち上げてから実は需要が全くありませんでした、では笑い話にもならない。
2点目は運営側に産業領域/AI領域の双方を解する技術者がいないこと。
真に社会に役立つプラットフォームとして成立させるのであれば、企業とアドバイザーを繋げて終わりというわけにはいかない。
企業の要望を正しく汲み取り、アドバイザーの成果物をコントロールする人物がどうしても必要だった。
8. 先端AI企業との共鳴:幸運な出会い
2点目(技術者の参画)はともかく、1点目の課題(ニーズ検証)に対してはすぐに行動に移すことができた。
接触対象は先端AI企業に設定した。サービス利用者として想定している製造系の企業は数が膨大であるため、接触先のAI企業のご協力を賜りつつベクトルを合わせていくという算段だった。
接触先の企業は画像認識AIベンチャーのカオスマップに掲載されている企業から、数社選定した。
具体的な基準があったわけでは無いが、Webページに記載されていた企業理念は重要視していた。
驚くべきことに、相談のためにコンタクトを取った数社全てから、打ち合わせのお時間を頂けた。
基本的には体よくあしらわれるだろうことを想定しており、1社でも良い返事が頂ければ御の字と考えていた私にとっては、願ってもない幸運だった。
すぐにプラットフォームの構想をまとめていた資料を整理し、相談の場に足を運んだ。
相談の場では、構想に対する印象から経営者としての心積もりまで、様々な意見を頂戴でき、非常に有意義な時間となった。
多々検討/改善すべき材料はあるが、少なくともアドバイザー側のニーズはありそう、という意見で大枠一致していた。
中でも1社のCEOからは、私自身の持つ理念に深く共感頂き、軌道修正案の提案から進め方に関する助言まで、全面的な事業支援を賜われることとなった。
また、その方の繋がりで、産業領域の企業に所属する方々とも引き合わせて頂き、依頼側にとっても一定のニーズのある事業構想であることの確証が得られた。
それからは紆余曲折がありつつも、再三の幸運と人の縁に恵まれ、大手自動車部品メーカーのAI開発領域のプロジェクトリーダーなど、産業とAIの両方の領域に知見を持つスペシャリスト達が、理念に共感してechoに参画することとなった。
このあたりの話は込み入った部分もあって話が更に長くなりそうなので、もし需要があれば改めて詳細を記述しようと思う。
9. 技術と挑戦を結び、日本の未来を切り拓く
以上がechoの創業ストーリーです。
つい気取って書きすぎてしまいましたが、"技術と挑戦を結び、日本の未来を切り拓く"という創業理念に共感してくださる方が1人でもいらっしゃれば、筆を執った甲斐もあり、大変嬉しく思います。
誠心誠意、皆さまからのご期待に沿えるよう努力してまいりますので、サービスに関心がございましたら、是非、ご用命くださいますと幸いです。
また、echoでは常に新しいメンバーを(技術スタッフを中心として)探しております。
echoへの参画に興味をお持ちの方は、Webサイトお問い合わせページから簡単に経歴等を記載の上、ご連絡ください。
余談ですが、echoの企業ロゴは、①日の丸 (日本) を抱擁する大鳥, ②飛翔のための上向きの翼, ③”心”を象った形状を掛け合わせ、デザインされております。
これも余談ですが、青色の鳥という点において、Xの旧ロゴ(Twitterのロゴ)と若干似ている部分がありますね。
Twitterのロゴ変更は寂しい限りですが、古巣を失った小鳥の避難先としてechoの大鳥の元に宿り、人気と幸運をお裾分けしてくれないかなと、そんなことをつい最近思いました。