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気遣いの浪費


この記事は 947文字です。


酸素と海とガソリンと沢山の気遣いを浪費している

東京事変「私生活」(2007年『娯楽』収録)の歌詞冒頭です。

2007年当時、

SNSはまだmixi、スマホはない時代。

物質だけでなく「気遣い」までが浪費の対象に。



ところで皆さんの職場では、

休憩の時にお茶を誰が用意するとか決まり事はありますか?


私が前にいた病棟では、

休憩の時のお茶は当たり前に用意する・される

暗黙のルールがありました。

私にとっては「気遣い」の浪費でした。



前職場での休憩は、前後二手にわかれて入り、

一番早く昼休憩に入った人が

お茶を用意する慣習がありました。


…なんか変。

なぜきっちり時間通りに休憩に入れた人が

遅れて休憩に入る人のために

自分の休憩時間を削ってお茶を用意するのか。

しかも

誰がこの時間帯に休憩するかをチェックして

個人のコップを神経衰弱のように用意するのって

手間がかかります。


人のお昼ご飯事情なんてわかりません。

休憩室でご飯を食べない人もいて、

お茶を飲まない人のために用意されるお茶もあります。

「ごめんなさい、食べてきちゃったの」

「そうなんだ、いいのよ」のお約束のやりとり。


人と休憩時間とお茶と沢山の気遣いを浪費している…。



ある時リーダー会で、

休憩時のお茶はセルフサービスとなりました。

あっさり受け入れられたということは、

みんな薄々思ってたり、

理にかなっていたからでしょう。


看護助手時代の病院では、

お茶汲みはありませんでしたが

夜勤でのおかずやデザート交換はありました。

こちらも看護師の提案で廃止されましたが、

こうした慣習が残っているところはあると思います。


お茶の用意そのものは否定しません。

学生時代から就職後も

寮生活経験をしてきた世代もたくさんいます。

協力し合う、助け合う、先輩を敬い、後輩をいたわる

といった背景があっての行動でしょう。

それをわかっているから言い出せなかったのもあると思います。


こうした言いにくいことを、暗黙のルールをそのままにせず、

業務改善につなげてくれたリーダーには感謝しています。


私も異動後の病棟では、お茶汲みについて意見しました。

セルフ賛成派が多く、用意する義務は無くなりましたが

お茶を用意したい派というのも一定数いるもので、

完全にはお茶汲みの慣習は無くなりませんでした。


でも、

自分の不満を言いながら現状を受け入れるよりは、

気持ちは楽にはなりました。


お読みくださりありがとうございました。








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