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探求者のぼやき


つまづく生存本能


何かが引っかかって
何かにつまずいて。

だけど別に外側の世界は関係なくて。

あ、どうやらやっぱり
ぜんぶ自分の中にあるみたい。

なかなか抜けてくれない
余計なトラウマ
いらないビリーフ。

別に、もう何もしたくない。
何もする気にならない。

特に希望もないわけで。


何が楽しいと言うこともなく、
何がつまらないと言うことも別にない。

時々襲ってくる苦しみ。

この社会で生きていくには、
適応力がなさすぎる。

それ以前に、
生きていきたいと言うバイタリティーが少なすぎる。このキャラクター。

生き物の基本条件。
それがちょっと抜けている。

何がどうなるのか、
何が何だかわからないけれど、

この肉体で
この世界を生き抜いて

何が何でもこの身を守っていく。

とにかく
ただひたすら生きていく。

生物の中で最も必要な部分、どんな生き物でも

おそらくこれは初めからそなわっている機能。

そう簡単には隠れたりしない。

だけど、どうやら私にはもともとそれが少ないらしい。

(ため息)


霧の向こう



この頃
少し見えてきた、いろいろなもの。

少なくとも今どこにいるのか、
なんとなくは理解し始めている。

ちょっと前は本当に
どこにいるのか全くわからないくらい、

目の前が薄グレーのもやもやで覆われて、
霧や煙でたちこめて、何にも見えなかったけど。

少し霧が晴れてきたように思う。

だけどやっぱり
多少もやもやは残る。

かなりしつこくて
そして
しかし今は薄い。

元のもやもやが
分厚すぎたので、

まだ少ししつこく
薄くべったりと残ってる霧。

一見すると、さほど問題がなさげに見えるけど、

結構行ったり来たりする。

どれだけ考えても
やっぱりわからなかったし、

どれだけ静かにマインド抑えても、

思考をなるべく使わないようにしても(勝手に出てくるけど)、

魂の声なんて聞こえてこない。

まだ、
べったりと残っている薄い膜。


(またため息)

苦悩は続くよどこまでも


この世界の真相について、
この宇宙の現れについて、

どうにもできず、
自我を持ったままの自分について、

まるで死刑宣告を受けたみたいに、

ただひたすらその日を待っているように、

ただもんもんと。

それが嫌だから
何か生きがいになるような、

何かモチベーションにつながるような、
何か得意で好きで止められなくて、

それが見つかれば
楽しいんじゃないかと思っていた。

没頭していれば、
いつか探求も終わるかもしれないし、

何なら忘れちゃうかもしれないし、

あるいは楽しくなって、
それなりに充実した日々を送れるかもしれない。

そんなふうに思っていた。

すがっていたよ。

何にもなかったから。

不安で不安で心臓が爆発しそうだった。

脳が破裂しそうだった。

自爆の一歩手前手前。

そこで
ちょっと気づきのようなもの。


別にそんなにひどい違和感を感じなかったし、

これなのかなぁって普通に思ったし。
 
でもね。

相変わらず、相変わらずなんです。


やっぱり、わからない。

それが起きたら
きっともう、生きていくことに専念するほかないのだから、

苦悩も探求も、
あらゆるめんどくささも、どうでもよくなって、

自然に生きることになるかなとか思っていた。

もしかして、
条件付けしたかもしれない。

気づきが起きたら、って。

真剣に取り組んだところで、

気づきが得られるわけではなくて。


むしろ本当はリラックスした方が良いのに、

どうやらリラックスの仕方を忘れたみたい。

だからいつも体がこわばっていて、
気がつくとあちこち緊張して筋肉が硬くなってる。

もちろん
苦しみのストーリーはぜんぶ思考だって言うことはわかっている。

だって思考は思考する以外にできないからね。


(深いため息)


存在の否定


不安定さに不安になって本当にこれでもいいのかって、

自分の存在を否定していた。

でも少しずつ解消されてきた。

なぜならば
確かに、今しかありえない。

もしも
どこかで1ミリでもズレていたら

こんなふうに悩む思考さえも現れないはず。

だから
ここで悩んでいる自分とは、
100%ここで悩んでいる自分、そのまんま。

絶対的に替えられない。

そうはいっても
100%ここにいる自分は

バイタリティー、生存本能、人間の生きる種、

それが、ちょいと足りない感じ。

前からこんなだったかなぁ。


(深い深いため息)

もうええわ


理屈で納得したところで
感覚は、早々離れない

いろんな思考が起こってくる

満ち足りているのに足りない。

足りないくせに満ち足りている。

もうええわ。

エゴは問題がないことを問題だとする。

どこまでいっても必ず問題を作り出し、
もっともっとと乾いているわけね。

そして、しまいには疲れ果て
もうええわと。

感動と言うものは
多分、
とっくにどこかに置き忘れてしまって。


子供の頃は
みんな新しく知ること全てに純粋に

キラキラと目を輝かせ

見るもの全てが新鮮で
圧倒されていたんだろうな。

その感性がなくなっちゃったわけだ、

私には。
大人には。

左脳が大きく膨れ上がって、
右脳の出る幕がなくなって、
バランスがぜんぜんよろしくない。

脳も疲れてぼやいている
もうええわ、と。

ゴミのような思考ならもう、どっか行っちゃってよ、と。

何回も言ってるけど他の言葉が出てこない。
はぁ。


もうええわ。


といったところで本当に
もうええわ。


(いい加減にしなさい)



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