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ウスバカゲロウ


小学校の同級生に大人になって再会すると、ほとんどの人にずいぶん落ち着いたね、と言われる。


本当に恥ずかしく、何と言っていいか分からない。

決してわたし昔やんちゃしててさあ…
的な自慢ではない。

そこには同級生たちの、「ヤバイやつだったよね…」という声なき声が聞こえてくるからである。

まあ、今もそれなりにヤバイかもしれないが、なんというか、私はすごくやりたい放題のとにかく勝手なやつだったのだ。

ひとえにそれは「将来は芸能人になってチヤホヤされたい」という真っ直ぐに身の程をわきまえない欲望からのことだ。

このころは自分が選ばれたものだということを信じてやまないので、とにかく目立てる機会を狙って生活していた。


全校集会やお楽しみ会的なイベント、〇〇生を送る会、などの劇発表の時はゲリラで自分のセリフを増やして本番で勝手にパフォーマンスしたり、歌いながら生徒の間を練り歩いたりして叱られていた。


そんな私に、初めてテレビに出られるかもしれない、という機会が突然訪れたのが小2の6月だった。


それは、給食の廃棄を畑の肥料にするという画期的なマシーンが全国で初めて我らの小学校に導入されたのを、あのNHKが取材に来る、というものだった。


そこで先生が朝のホームルームで、
その肥料を畑に撒く役割をする子をクラスから1人出したいのですが、出たい人いますか、と聞いてきた。


なぜそんなすごい発明が松戸のこんなのほほんとした公立小学校に来たのかは分からない。

しかしこれ以上に胸がときめくことがその時の私にあっただろうか?

全力でハイ、ハイ、ハーーイ!!と手を上げまくったが、当然テレビに出たい子はたくさんいて、その場では決まらなかった。

正確に覚えてはいないが、希望してる子が多いので、夕方にまた聞いて、それでも多ければ先生が選びますというようなことを言って朝のホームルームは終わった。


わずか6年強しか生きていない子供石出だったが、6年間の経験を総動員し、絶対に負けられない戦いがそこにある、と感じた。

夕方までに他の希望者のやる気を削がねばならない。

さあ忙しい1日の始まりだ。

私は子供ながらどんな子が選ばれるのか考えた。元気な子、成績が良い子、見た目がいい子、この辺りだろうと予想をつけた。

さっそく各分野で優れていると考えられるライバル達にアプローチした。

見た目がいい子たちは心も美しく、頼んだら素直に譲ってくれた。

元気な子にあたるお調子者食いしん坊男子には、給食のデザートをあげるという交換条件でテレビ出演を諦めてもらった。


問題は、見た目も良くて非常に賢い、ユウスケ君という男の子だった。

一筋縄ではいかないことは分かっていたので、私は彼の懐に入ることを考えた。

彼はゲームと勉強とサッカーと昆虫が好きだった。雨の降る日の休み時間には、裏校門の階段の裏側にいて、そこにいる昆虫を見ているという情報をキャッチした。


今日は雨だ。

それだ、と思った私は2時間目が終わるやいなや雨の中を誰よりも早く走り、階段の裏に到着した。

裏校門+階段は、小さな山を削って作ったような構造になっていて、階段の裏側に入ると土手みたいに斜面に座れるようになっている。
薄暗くて時々雨粒が漏れるが、
ちょっとした雨宿りもできて秘密基地のような空間だった。
何人かそこに座っている子たちもいた。

ほどなくして、
狙い通りユウスケ君が来た。

私は片思い待ち伏せ中学生のように、あ、ユウスケ君偶然だね〜みたいな感じで話しかけて、ユウスケ君の隣に体育座りした。

そして上を見上げると、トンボに似ているが、トンボよりも透明の羽が多い謎の昆虫がコンクリートの階段の裏に大量にぶら下がっているのが見えた。
ピンと来た私は早速、ユウスケ君この虫なぁに?と尋ねた。

ユウスケ君は「ウスバカゲロウだよ」と教えてくれた。


へぇ〜すごい〜!こんなの初めて見たぁ〜!って言えばいいのに、なぜか私はライバルに負けたくない気持ちが出て、「ああ、ウスバカゲロウね」と知ってるフリをしてしまった。


まあ、おおかたウスノロのバカでゲロでも吐く虫なんだろう、と最低の解釈をした。


大人のみなさんはお分かりだと思うが、
当然そんな虫ではない。


ウスバカゲロウの名前の由来は、
薄暗い場によく生息しており、
たまに光が当たった時にその透明の羽がキラキラと輝き、その姿はまるで陽炎のようだということで、
「薄場(ウスバ)陽炎(カゲロウ)」なのである。


虫やファーブルや昆虫学者たちに心から謝って欲しい。


その名前を聞いたらすぐ行間休みは終わってしまい、肝心のヤマ、ユウスケ降板交渉ができなかったので、昼休みになったらすぐにユウスケ君に「ウスバカ・ゲロ見に行こう」と、酷い句読点で区切りながら彼を誘い出した。


昼休みも昆虫好きな女の子を装ったところ、優しいユウスケ君はテレビ出演を譲ってくれた。

交渉が成立した喜びで私はオリジナルのウスバカ・ゲロの歌も作ってユウスケ君に披露したくらいだ。
はた迷惑なリターンだっただろう。


そうしてメインのライバル達を丸め込み、
他の子にも圧力をかけまくった私は、
帰りのホームルームでは朝と一転して希望者が石出オンリーという状況を作り、
テレビ出演権を見事勝ち取った。
小2とは思えない卑怯者だ。


NHKの取材では、1年生少し多めの、各学年から1人〜2人くらいの子供たちが集まっていた。
全員で最新機械でできた肥料をカメラに見せたり畑に撒いたりした。
私はかなり前の方に行って激しくアピールした。


オンエア当日、ワクワクして家族みんなでテレビの前に座り、NHKの夕方のニュースが始まった。


だが、どこにも私の姿はなかった。


私は頭が真っ白になった。


あ、あんなに最前列でアピールしたのになぜ!?


そう、私は前に行きすぎて、
カメラマンの視界から消えていたのだ。


なので結果的に映ったのは、真ん中の方にいた子たちだった。


小2の石出ではカメラマンの高さまで計算できなかった。そういえば算数の成績もずっと悪かったし。



他の子に入念な圧力をかけ、
主張できなかった子たちの思いを握りつぶした上、
NHKデビューを逃したウスバカ野郎の私。


まったく今思い出してもゲロ吐きそう。


ユウスケ君は小6で中学受験し名門私立へと進学した。賢くて優しい子だったので、きっと今は陽炎のようにキラキラ輝く羽を持つ大人になり、社会に羽ばたいていることだろう。



わたしは未だに、ウスバカ・ゲロである。



せめて薄場からは頑張って脱出したいものだ。



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