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だいじょうぶ、だいじょうぶ。

昨日は、月に一度の名誉院長の診察の日でした。
私は長女が通院しているクリニックで、長女の担当医(副院長)ではない名誉院長の診察を受けています。
このクリニックは国立病院を退職した名誉院長が開院し、今は、名誉院長、院長、副院長の三人の医師が中心になって診察をしています。
私は、鬱病、不安障害、強迫障害などで通院し始め、今はかなり落ち着いてきています。
それでも、障害のある子と暮らすことは大変なストレスもあり、ましてや、躁転してしまうなどのことがあると、私の生活はひっくり返り、精神的に追い詰められてしまうので、油断はできません。

昨年末からの名誉院長の教え、
「ほめる」
「自分からごめんねを言う」
「ありがとうを言う」
「だいじょうぶと言う」
を守り続け、私自身も変化してきました。

名誉院長がいうことには、
「だいじょうぶ。だいじょうぶ。」と言い続けることで、自分自身の心が穏やかになり、本当にだいじょうぶになるのだと。
健常者中心の社会に暮らす障害のある人は、不安がいっぱいの生活をしています。
不安がいっぱいの長女に、
「だいじょうぶ。だいじょうぶ。」と私が声をかけることで、長女は落ち着いてきています。

そして今日、
「目を見て言うんだよ。」と言われました。
そう言われて、私は、ハッとして名誉院長の目を見ました。
名誉院長はやさしい目をして私を見ていました。

私は人の目を見て話すことが苦手なのです。
昨日も少しうつむきがちに話していました。
そうです。
まだ私にできていなかったこと。
相手の目を見て話すことでした。
これは私の特性ではあるといってしまえば、それはそうなのですが、コミュニケーションのスキルとしてはとても大事なことでした。

早速、長女の目を見て
「だいじょうぶ。」と言ってみましょう。
87歳の名誉院長は長い間に培ってきた知恵を少しずつ私に授けてくれます。
おかげさまで私は、心地よく暮らすことができるようになってきました。

心の中には怒りの炎と、穏やかなともしびがあること。
怒りの炎が燃えさかると、心が苦しくなり、いやあな気持ちが何日も消えないで、とても疲れること。
自分自身が、相手に対して、「ありがとう。ごめんね。だいじょうぶ。」と言っていると自分の心が、穏やかになり暖かくなること。

そして穏やかになった私を見て、相手も穏やかになること。

「長女はあなたの鏡なんだよ。」

そうですね。
長女は言葉でのコミュニケーションが難しい分、私の顔をじーっとのぞき込んできます。

生きていくうえで、一番難しくてそれでも一番大切なこと。
それは自分の心を穏やかに保つこと。

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