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ああ、いい一分間だった。八日目


八日目
ジャコ・ヴァン・ドルマル監督 ベルギー
1996年

自己啓発セミナーを主催してはいるものの、自分の人生どんぞこの中年男性アリーが途中で拾ったのは、施設を逃げ出してきたダウン症のジョルジュ。
二人がくりなすロードムービーなんだけど、人生すごろくみたいな山あり谷ありの凸凹道行き。

ジョルジュは「お母さんに会いたい」と言って、昔住んでいた家を訪ねるが、お母さんはずいぶん前に死んでいた。
アリーは、妻子に逃げられて、一人暮らし。

そんな二人の乗る車のフロント部分で、なぜかご機嫌に「メキシコー、メキシコー」と歌う謎のミュージシャン。
この歌が耳について離れない。しかしなんでメキシコ。
どこまでも、ハッピーで、童話的な画面が続く。
でも、ストーリーは、ものすごくシリアスで、苦しい。

二人で旅を続けていたある時、大きな樹の下に一緒に寝転ぶ。
青い空の下。
起き上がって言う。
「ああ、いい一分間だった。」
私はここが好きだ。
大変な時、つらいとき、ごろっと横になって、しばらくして起き上がり
「ああ、いい一分間だった。」と言う。
人生の中で、たった一分間でも、いいひと時が過ごせれば、立ち直ることができる。

タイトルの八日目とは、神様がジョルジュをおつくりになった日。
神様は一日目は太陽
二日目は海
三日目は草
四日目は牛
五日目は飛行機
六日目は人
七日目は雲をおつくりになった。
何か忘れたものはないかな?
八日目の創造物はジョルジュ。
神様は満足された。

ジョルジュが生まれてこの世は完成された。
そう、世界には障害ある人の存在が必要だったのだろう。
障害のある人がいない世界なんて、未完成の世界だ。

てんとう虫が天使のように現れ、自然は美しく、見えないものも見える童話のような世界を旅する二人。
それに、謎の「メキシコー」の陽気な歌がかぶさる。
でもラストはあまりにも悲しい。

このラストをめぐって、いろいろ批判があった。
障害のある人の映画はどうして、悲しい結末なのか。
楽しい映画にはできないのか。
などの意見だった。

確かに障害者の出る映画で、ハッピーエンドになるものは少ない。
たぶん世間的には、障害者が幸せになって、けなげに生きてくれたら、健常者は安心するのだろう。
障害者が、苦しんだり、悲しんだりするのを、見るのはつらいのだろう。

だけどね、本当に障害者の人生は、楽じゃない。
つらい。苦しい。悲しい。報われない。
将来的な希望も持てない。

だから、このラストはありなんです。

ジョルジュを演じたパスカル・デュケンヌは、ベルギーの障害者の劇団で演技を学んでおり、この映画で、カンヌ主演男優賞を、アリー役のダニエル・オートゥユと共にダブル受賞している。
1991年には、「トト・ザ・ヒーロー」で、主人公の弟を演じている。
この映画では、弟はダウン症だなんていう説明は一つもない。

トト・ザ・ヒーロー
ジャコ・ヴァン・ドルマル監督 1991年

ただ家族として一緒にいるシーンがあるだけ。

昔、ダウン症は、蒙古症と言われていた。
顔つきが、蒙古人に似ているからという理由で。
「八日目」のワンシーンに、蒙古人の民族衣装を着たジョルジュのガールフレンドが映し出されるところがあって、差別的だと批判があった。
今は、蒙古症とは言わないで、ダウン博士の名をとってダウン症と呼ばれている。


アリーとジョルジュ

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