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母親になって後悔している


オルナ・ドーナト著

「もしも、時間を巻き戻せたら、再び母親になることを選びますか?」と言う質問に、
「NO」と答えた23人の女性へのインタヴュー。
「母親になったことは後悔しているが、こどもたちについては後悔していません。得られたこどもたちを愛しています。」

衝撃的な題名かもしれないが、私はこの本の題名を読んだとき、正直ほっとした。
私だけじゃないんだ。
こう思う人達がこんなにもいる。
そしてそのことを本にして出版した勇気ある人がいる。

今まで、世界にたった一人で孤立していると思っていた自分に、大勢の仲間がいたこと。
自分は非常識で、とんでもない母親であると思っていたのだが、なんだ、私と同じこと思っていた人がこんなにいたんだ。
黙ってただけだったんだ。
そう思って安心した。

もし、私が母親になることを選ばなかったら、私は心理学をもっと深く勉強し、専門的知識を深めて、思いっきり仕事が出来ただろう。
行きたいところへ行って、見たい景色を見て、自分の世界を広げることが出来ただろう。
自分の時間を自由に使って、24時間「私」でいることが出来ただろう。
心も軽くフットワークも軽く、かっこよく生きることが出来ただろう。

でも、私には、時間は巻き戻せないし、障害のある子もいる。
そして、不自由を抱えながら、シングルゆえの極貧の生活を続けている。
毎日の生活や、子供に障害があることはしっかり事実として認めているが、困難きわまりない生活を送っている。

どうしてそのようなことになるのかと言えば、ひとつには、韓国の女性作家が最近書いているように、女性が男性と同じ教育を受け、良い成績を得ても、それは学生時代までのことで、実際の社会は、男性中心の論理で動いているからということだ。
そして、今の社会では、生産性があり、仕事ができ、お金を稼ぐことが良いこととされているから、妊娠、出産、育児をワンオペでこなす女性は、社会では使い物にならないとされてしまう。
男性社会においては、女性は一段下にいる存在なので、男性より優秀な女性は煙たがられ、避けられる。
自分の意見を言う女性は嫌われ、従順な女性を求められる。
男性は女性に支えられているので、仕事を継続できるが、現実を生きている
女性は、仕事を継続しにくいため、正規職員になることが難しい。

ましてや、障害者ともなれば、社会的には税金の無駄遣いとまでいわれてしまう。
日本でのカーストの一番下の存在だ。
どんなに能力があろうと、障害のある子どもを抱えていれば、子どもの容体の不安定さなどで、仕事を休まなければならないことがあるため、
「使えない」と言われる。

このような不条理な社会の中で、どうやって幸せな母親になれるというのだろうか。
母親は幸せなものであるという、一般的な常識の中で見過ごされてきた、母親たちの切実な思い。
泣き叫び、血が出るような険しい毎日。
母親なら、我慢して、おおらかな包容力で、こどもを育てなさいという、社会の圧力。

障害児のいる家庭は離婚率がとても高い。
父親は逃げ出してもあまり非難されないけど、母親が逃げ出してしまうと社会的制裁がものすごい。
育児にかかわらない父親は多いが、さほど非難されない。
女性でも、育児や家事が苦手な人はたくさんいる。
でも、女性だから、育児や家事はできて当たり前だと思われている。
当たり前じゃないのに。
血がにじむような努力している女性がどれほど多いことだろうか。

だけど、人は老い、どこかしらに障害が出る。
その時、障害者を下に見ていた人は、自分の障害を恥ずかしいと思うだろう。
認知症にだけはなりたくない、自分だけはまともでいたいと思うだろう。
でも、人間は病気になる。体も心も。
病気になると使い物にならない存在と言われて、社会からスポイルされるだろう。
余りにもつらい経験を重ねたすえに、心を病むと弱虫といわれて蔑まれる。

そうなったときにやっと気が付く人もいれば、気が付かない人もたくさんいる。
女性にやさしく、妊娠、出産、育児がしやすく、障害者が生きやすい社会が、本当はみんなが生きやすい社会なんだと。

最後まで気が付かず、
「私を誰だと思っているんだ。」とヘルパーさんに強がりを言う高齢者はたくさんいる。
強がりはいらないのに。

安心して死ねる世の中になったら、どんなに生きやすいだろうか。

かっこ悪いってことは、なんてかっこいいんだろう。


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