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なんとなく気になって、すこしノスタルジーと共にしらべてみました。80年代の子どもたちの夜遊びとはどういうことだったのでしょうか? バブル時代の幕開け直前の日本であり、昭和から平成へと移り変わる前の最後の時代。機動戦士ガンダムの放映中に80年代へと突入していきます。

男子的には、ガンプラ、キン消し、ファミコン、ドラクエ、ビックリマンチョコといったところでしょうか。アイドルも全盛期ですが、私あまり詳しくなんですよね。ほとんど興味がなかったといってもいいでしょう。

現在の80年代ブームの起点は、1982年にあった!!   同世代はもちろん、若者たちからも熱い支持を受ける80年代カルチャー。
1982年は、花の82年組がデビュー。本誌では、当時大人気だった雑誌『平凡』のグラビアを限定復刻し、早見優と石川秀美の幻のハワイロケ水着写真をお届けします。透き通る海のきらめきが二人の小麦色の肌にはじけて、一瞬でみんな若かったあの頃へ。
堀ちえみin北海道は、青春18切符で旅した僕らのハートを鷲掴み。
松本隆のロングインタビューでは、1982年前後の活動をご自身が解説。
佐野元春のブレイク秘話や、角川春樹の熱き情熱、荻野目洋子の80年代の思い出、岩崎宏美の『聖母たちのララバイ』ヒットエピソード、初代タイガーマスクの勇姿も! 世界的ブームの80年代SF、今すぐ行ける80年代「喫茶店」など、
ページをめくれば一瞬でタイムトラベル。この1冊であの頃描いた夢が、もう一度目の前に。

 この本に取り上げられて書かれていることは、当時の陽キャの人たちのライフスタイルだろう(児童精神科医的には陰キャがどのように生存してきたのかの方が気になる)。当時からオタクやマニアと言われた人たちはいたはずだし、当時の小中学生は何をして遊んでいたのでしょうか。インターネットのない時代の夜の娯楽は、ラジオだったのではないでしょうか。テレビは1家に1台、ブラウン菅があるだけでしたので、家族が寝静まってからは見ることができないでしょう。深夜アニメも80年代はとても少ないのが、以下のリンクを見てもらえればわかると思います。

以下のリンク先のページは面白いですね。当時のパーソナリティーを調べることができます。時代を感じますね。ハガキ職人という言葉もこの当時に生み出されましたが、今ではアプリやソフトの名前ですね。今では「メール職人」、「ネタ職人」と呼び変えられているようです。

そして、1983年7月15日に子どもたちの生活を激変させ、その後のゲーム業界に革命を起こした事件が起きます。

 1983年(昭和58年)7月15日は、任天堂からファミリーコンピュータが発売された日。ファミリーコンピュータは、“ファミコン”の愛称で親しまれた家庭用ゲーム機の金字塔。ゲームというものを一般に根付かせ、世界の遊びを変えた伝説のハードと言っても過言ではないだろう。当時人気だったアーケード版『ドンキーコング』がそのまま遊べることを目標に設計されており、同世代のライバル機と比較するとかなりの高性能を誇るのが特徴。カートリッジ交換式を採用した任天堂初のゲーム機でもある。

そして伝説へ 

1986年に第一作が発売されたドラクエシリーズですが、今では考えられないのですが僅か3年後の1988年に『ドラゴンクエストIII そして伝説へ… 』が発売されています。驚きの開発スピードですし、当時の熱狂はすざまじいものがありました。 「ドラクエ3」はその人気から、ソフトの発売日に学校を休む子ども(大人も)を街にあふれ、ニュースになったのを覚えています(私はファミコンを買ってもらえなかったので、持ってませんでした)。スーパーマリオブラザーズのヒットを土台に、この時点でファミコンは生きた伝説へと昇格したように思います。

黄金期

もう一つ、この時期はジャンプ黄金期でもあります。いつもても最高のラインナップです。ほとんどハズレの漫画がなく、飛ばして読むこともない時代です。

ちなみに、ジャンプが面白すぎて、自転車乗りながら読んでいたら、バイクに轢かれたのも80年代の良き思い出です。今でいう携帯のながら運転ですけど、赤信号無視のバイクが原因でしたね。

週刊少年ジャンプ 1987年21号

ドラゴンボール(鳥山明)
空のキャンバス(今泉伸二)
聖闘士星矢(車田正美)
北斗の拳(原哲夫・武論尊)
シティーハンター(北条司)
魁!!男塾(宮下あきら)
キャプテン翼(高橋陽一)
こちら葛飾区亀有公園前派出所(秋本治)
県立海空高校野球部員山下たろーくん(こせきこうじ)
きまぐれオレンジ☆ロード(まつもと泉)
ジョジョの奇妙な冒険(荒木飛呂彦)
ハイスクール!奇面組(新沢基栄)
アカテン教師梨本小鉄(春日井恵一)
キン肉マン(ゆでたまご)
ついでにとんちんかん(えんどコイチ)
PANKRABOY(富沢順)
スタア爆発(幡地英明)

夜行性では暮らせない80年代の子どもたち 

 今のように携帯電話を使って、パーソナルスペースで自分の時間を持つことや趣味の情報を得ることができなかった時代です。100歩譲ってラジオぐらいでしょうか。それでも、子どもたちは知恵を絞り、自分の世界を作り上げてきたのではないかと思います。深夜アニメもインターネットもない時代。今の子供達には想像もできない時代ですが、当時はそれが当たり前。調べてみると、いろんなことを思い出しますね。

児童精神医学的に80年代の子どもたち

この頃の児童精神医学領域では、不登校論が高まりを見せていたのではないでしょうか。現在のような発達障害の診断概念の拡大前の時代になると思います。DSMーⅢに広汎性発達障害が登場したので、1980年です。そして、子どもの精神医学においても、今よりも専門医も病院も少なく、見てもらえる機会もなかったと思います。社会的な精神科へのスティグマも多い時代です。

第3章 不登校 - 国立教育政策研究所

不登校をめぐる歴史・現状・課題 - J-Stagewww.jstage.jst.go.jp › article › arepj1962 › _article › -保坂亨 著 · ‎2002 ·

いつか、この時代の児童精神医学についても調べて書いてみようと思います。