不幸の存在について

こんにちは。

とある業界ではかなり若い年齢で社長として会社組織を経営する立場になった僕の頭の考えなどを整理保存するためのノートとして使用してみたいと思います。

さっそくですが僕は自分が不幸と思ったことはありません。

もしかしたらそれは幸運なことなのかもしれませんが、自分自身が特別幸運だと思ったこともありません。

さまざまな繋がりなどに支えられてきたことは確かですし、自分ひとりの力で会社社長という立場に立っているわけではないことは、謙遜ではなく本心から思っています。

しかしそれも別に"幸運"という一括りで片付けられるものではないと思っているのです。

自分が幸せという感覚は人生を彩りあるものにしてくれるでしょうし、大切にするべきものだと思います。

しかしながら"不幸"と呼ばれる感覚は自らになにも与えてくれることはなくさらに不幸を呼ぶ存在でしかないと思うのです。

人間は幸福感を味わうために生きていると思います。

「仕事で出世した」「好きな人と恋仲になれた」「趣味の世界にたっぷりつかることが出来る」「かわいい子供が出来た」

それらは別の言い方で達成感を得ると呼べます。

では不幸とは何かと考えたときそれらの逆でなにかを達成できていない時に感じるのだと思います。

しかし達成できないと感じるためには望みが必要です。

人はなにに望みを覚えるのかと思ったとき、多くの人は望みを叶えた他者を見て初めてそれらが自らの望みだと気付いていると思います。

それは特定の個人ではなくとも、例えば「○○大学に入学している人たち」「金銭的に裕福な人たち」などもあれば、極めつけは「幸せそうな人」なんて漠然としたものもあるかと思います。

自分もそうなりたい、もしくはそれに類した成功を収めたいという気持ちが自分の望み(目標)となると考えています。

ではそれらを叶えられないことは不幸なのでしょうか?

僕はそれを不幸なことなどとは全く思いません。

それはあくまでも今の自分では叶えられない目標だからという以外に外にないと思うからです。

身の丈に合わない希望を持つことは不幸ではなく無謀です。

では望みを叶えるためにすべきことはなにかと考えれば答えは一つです。

"自分の望むことをできる自分"になるしかないのです。

もちろん避けることのできない絶対的な不幸というのも世の中にはあると思います。(大切な人を事故で失う、悪意ある他人に振り回される、事故で身体的ハンデを背負うなど)

それらは受け入れるしかないでしょうし実際受け入れて幸福になられている方もいることでしょう。

しかし僕が出会ってきた不幸(もしくはそれに近い感覚)を感じている人でそんな人はほとんどいません。

みんな何かを羨みそれと自分を比較して卑下しているに過ぎないのです。

「自分が事業で成功できないのは金がないからだ」

「自分がモテないのは女の見る目がないからだ」

「自分がブラック企業に勤めているのは会社が悪いからだ」

金が要るなら金を稼げばいい、女にモテたければ女の見る目に叶う自分になればいい、どうしようもなく辛いならブラック企業から離れればいい。

それらをしないのは自分が諦めているだけで"不幸"なんていう不確定で漠然とした感想で片付けられるようなものではないと思うのです。

あくまでも今生きている自分は今まで生きてきた自分の行動の結果。

成功している人間も今まで生きてきた行動の結果なのです。

僕自身もどうしようもない無力感に襲われる出来事があったり、尋常じゃないブラック企業を渡り歩いたりと単純に幸福と呼ばれる人生は送っていませんし、今はうまく仕事が回っていますが現在の会社が今後もうまくいく保証など一切ありません。

でももしも失敗したとしてもそれを不運などとして片づけてしまえば、自分の人生はそれまでだと思うのです。

他人を見て望みを持つといいましたが、だれも成し遂げていないことで失敗すれば、自分で道を切り開くしかないことはだれしも理解できるでしょう。

しかし他人を見て持った望みというのは、成功している人を見てあの人はうまくいっているのに自分はダメだと不幸の一言で安易に片づけてしまいがちではないでしょうか。

そうではなく自分はあくまでも自分なのです。

今の自分には成功できなかった現実を受け入れるしかなく、そこからどうやって自分の望みを叶えていくか結果を分析して考えて、不幸などという漠然とした感想を自分から無くすことが、小さくとも幸福につながるのではないかと思うのです。

自分の想像すらつかない富裕層の生活を真剣に羨む人はあんまりいないんじゃないかと思います。

なぜならそれは"無謀"だからです。

でも想像できる望みというのは自分で捉えられる現実的目標だと思うのです。

相対的ではなく絶対的な自分の幸せを認識してそれに突き進む。

もしも自分を不幸と思っている人がいたら、そんなことを意識してもらえたらなにか変わるんじゃないかと僕は思います。



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