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国境のエミーリャという理想郷

ゲッサン連載中の「国境のエミーリャ」が面白い。面白いどころか、近年まれにみる傑作と思っている。

原爆後もポツダム宣言を受け入れず徹底抗戦して敗戦した日本は、東京の半分から北をソ連中心に東側国が占領した「日本人民共和国」に、もう半分を西側国が占領した「日本国」として分断された。東側となった押上に住み、十月革命駅とされた旧上野駅の人民食堂で働く19歳の杉浦エミーリャは裏の顔を持つ。日本国への亡命希望者を様々な方法で国境を越えさせる脱出請負人だ。だが、亡命希望者が高い壁と厳重な警備の国境を越え、生きて理想郷にたどり着けるとは限らない……。

空想戦後物語にスパイ要素を混ぜた破天荒な話だが、作者の池田邦彦先生と監修協力の津久田重吾先生の手によって綿密に作られた設定は、恐ろしい程リアリティのある世界を生み出している。懐かしさのある池田邦彦先生の絵柄だが、キャラクターの表情は雄弁であり、登場人物に生を感じる。

そして、それは東側の東京という仮想の街の描写にも言える。ロシア語と日本語が入り交じる看板、東側の鉄道車両と自動車、飛行機などが行き交い、服装や小物にも東側の香りがするほどに。そう、鉄道模型レイアウトと原画もプロとして手掛ける池田邦彦先生の描く街は、息遣いも感じるほど暖かくも冷たくもなり、よく見渡せる画角も合わせ、どんな緻密な写真のような背景よりも情報量が多く感じるのだ、生きた箱庭。これも雄弁なのだ。

1話形式、たまにシリーズになる構成の中での作劇こそは理想の物である。設定の妙を使って、必ず1話の中に「そうくるか!」という展開がある。スパンの長い月刊連載には必要なモノだが。それが1つや2つで終わらない時もあり、読みだした直後の期待のハードルを必ず超えてくる。

本当に縦横無尽な作品だ。国境をどう超えるのか?亡命希望者は何故西側に理想郷を求めるのか?という話の骨をブレさせずに、ある時はドキドキするシリアスなスパイ物に、ある時はエミーリャの心境に涙が落ちそうになる悲劇に、ある時は爽快な冒険活劇に、ある時はバカ笑い必至な喜劇に。もちろんエミーリャのサービスシーンも忘れてはいない。

そんな中で骨の部分はエミーリャにどんどん危機がせまる展開へと進む。現在2巻まで発売だが、その後の話ぐらいから「亡命希望者が命を懸けて目指す、「我々の西側」は本当に理想郷なのか」という思いが脳内によぎるようになってきた。価値観を揺り動かされているのを実感するのだ。よくよく考えれば、日本で西側・東側の話を描くのはとてもタイトな話。よく少年誌に載せたものだ。

……まあ、ゲッサンは「月刊山本崇一朗」的な部分を引き抜くと、青年誌よりもさらに上の層向けだとは思うけれど。

「国境のエミーリャ」という理想郷を追い求める者たちを描いた作品は、それ自体が縦横無尽に喜怒哀楽を描く、現在進行形のマンガの理想郷なのである。

まだしばらくは、劇中のエミーリャのお約束「昼食 (アビェト)は売り切れ!食べ物は全部売り切れよ!!」を聞き続けたいものだ。


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