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【小説】遺書《遺品2》


 北の街ではまだ雪が降る。昔はこの時期の水分の多い雪でも、傘など使わなかったが、いつの間にか髪が濡れるのを嫌い、私も傘を使うようになった。

 住宅街の歩道に積もる今日の雪はやはり重く、靴の選択を間違ったと後悔する。これから自分が向かう所に行くならば、一番良い選択は長靴だったかも知れない。大人になるというコトは、我慢の積み重ねなのだろう。防寒靴の靴底から水が滲みませんようにと願いながら、雪の合間に点在する水を出来るだけ避けて前に進むしかない。

 住宅街を抜けて坂を上る。めったに車の来ない道ではあるが、車道から寄せられた雪がまだ歩道を隠しているので車道を歩いており、車が来たら多分この湿った雪を浴びせかけられるという不安が靴底の不安と重なる。今日する話を頭の中で整理したいのだが、不安が邪魔をしてなかなか難しい。

 今日会う友人の家は遠く、小一時間は歩かないとならない。雪と寒さに今日会うのをやめようとしたが、彼女は今日がいいと言う。朝から晩まで家業の手伝いをする友人なので、寒くても今日向かうしか選択肢は無いようだ。

 友人との待ち合わせ場所の交差点に着いた。歩くという行為を止めると、真冬から比べれば随分とちっぽけな寒さでも、体に凍みる。いっそもう少し歩こうかと思いつつも、友人を待ったほうが良い選択なのは間違いないので、ここで寒さと闘うしかない。

 闘うと言っても私には武器が無い。歩くという行為を止めると、服という防具があるだけで、せいぜい足踏みをする程度しか、寒さと戦う武器は無いのだ。ちっぽけな寒さでもお気に入りの赤いコートで長く耐えるのは辛い。いったい何分ほどで、私はこのちっぽけな寒さとの闘いに負けるのだろうか。

 そして、約束の時間を過ぎた。私はちっぽけな寒さへの敗北を覚悟する……。


程なく友人は現れた。いつものように、青いツナギと手袋、そしてナンバーのない白い小さなトラックで。軽トラック、略して軽トラという乗り物で彼女が迎えに来るようになって、もう4年。私もその音と香りと乗り心地には慣れてきたが、今日のこの友人の行為には慣れない。慣れないという問題ではない。怒りしかない。

 「また……ずぶ濡れにしやがって。」

 「だって、ウチの私有地はここまでだもの、転回するしかないでしょう。免許の無い、もうすぐ中学2年生では。」

 サイドターンとかいう技で、軽トラをくるりと回して私に雪水をぶっかけた友人、東山千代子が軽く言う。私がこの車に乗せられ、千代子の家が経営する農場の中を、ひたすらグルグル回される日々も、もう4年目だ。
    
 「せっかくここまで無事で来たのに、髪もコートも靴もぐしょじしょじゃない、遅れておいて。」

 「はーい、すみません。ちょっといい降り具合だから、農場で回っていたら、つい時間を過ぎちゃってて。」

 「ついって何よ、ついって。あなたの時間を調整したいわ。」

 今日は強くは当たれない。言えば、直ぐにあの話をされるのは目に見えている。

 「大丈夫、旧仮名が読めないとかはクラスメートでは私の胸の中だけで止めて置くから。」

 ……先に言われたが、優しい話で良かった。母が他のクラスメートとその家族に話していないのを祈るばかりだ。雪水の件は不問にするしかない。

 「で、それがお祖母ちゃんの時計?」

 そう言って、千代子は私がコートのポケットから出した箱を覗き込む。


「そう、『とけゐ』。」

 「確かに、とけるにも見えるね。もっとはっきり『ゐ』だと思ってた。」

 私は箱に金色の刺繍を施した職人さんの手際を呪う。この間、母にこれを渡された私は、この文字を「とける」と読んで散々笑われたのだ。

 「でも、私、お祖母ちゃんがこれ着けているのを見た時ないのよ。」

 そうなのだ。お祖母ちゃんがこの時計を着けているのは一度も見ていない。少なくとも私がファッションに興味を持ってからは。旧仮名は知らなくても記憶力には少し自信がある。 

 「あなたの為に買っておいてあったんでしょ、多分。着けてみれば?」

 千代子に言われて、時計を着けた。穴が1つしかない皮バンドなのに、まるで測ったように私の左手に吸い付いた。

 「あら、ぴったり。時間もぴったり。合わせたの?」

 「お祖母ちゃんが合わせていたのかな、偶然近くの日に。」

 「機械式かな?竜頭は回るの?案外、安物だったりしてね。」

 「コチコチ言うから機械式かと思ったんだけど、引き出せないし、回らないのよ。押せるけど」

 そう言って私は腕の時計の竜頭をカチカチ押してみた。


「あれ、バッテリー弱ったかな?昨日、兄貴が取り替えたハズなのに。車の時計がおかしい。」

 千代子が何かに気づいたようだ。
 
 「何も変じゃないわよ。」

 私が見る限り、千代子の指さした車のCDプレイヤーに付いているデジタル時計は普通の表示だ。

 「いや、あなたがこう竜頭を押した時に。」

 車を止めた千代子が私の手を取って時計の竜頭を数回押す。

 「なにこれ、面白い!」

 千代子が竜頭を押す度に、腕の時計と車のデジタル時計の分の表示が早回りした。

 「2回タタッと連続で押すと時間が戻るわ。」

 千代子は面白がって竜頭を押し始めた。私は少し怖い気がしてきた。そして……。

 「千代子、雪!雪の動きがおかしい。雪が、雪が降ったり止まったりしている。」

 もう千代子が竜頭から手を放しても、時計の動きと雪の動きが変になったのは変わらない。数分間の行ったり来たりを繰り返す。


「何、この時計……怖い。なにか世界中の時間を動かしているみたい。」

 千代子が言う。確かにそうなのかも知れない。私たちは世界の時間を狂わせてしまったのかも知れない……。

 「取り扱い説明書は?ない?内箱とか、外れないのそれ?」

 千代子に言われて、布で包まれた内箱を外すと、そこに手紙がお祖母ちゃんの字で書かれていた。

 ・とけゐは願えば来ます。
 ・竜頭を1回押すと1分時間が進みます。
 ・竜頭をタタッと2回早押しすると1分時間が戻ります。
 ・竜頭をタタタと3回早押しすると時間が止まります。
 ・竜頭を押すときに触れている、大地に接続されていない物は同じ時に持ち込めます。
 ・竜頭を押しすぎると「時のサーマル」なるものがとけて、時間がおかしくなります。
 ・時間が止まった時、「時のサーマル」がとけた時は彼を呼び出してください。
 ・彼を呼び出すためには綺麗な二重の円「◎」を描く必要があります。
 ・ただし、紐とか棒で直接距離を測って円を描いてはいけません。
 ・二重の円は大きければ大きい程良いです。描いたら竜頭を長押しして下さい。
 ・彼は変な方ですが、話は聞いてくれます。なんでも相談してください。

 「さっぱり意味がわからないけど、彼とかいうのを呼ぶしかないみたいね。」

 「何なのかしら、この時計。お祖母ちゃんは何故、こんな物を私に。」

 「とにかく、なんとかしないと。私たちだけなのか世界中の時間が変なのかは知らないけど、何かが起こっているのは間違いない……でも大きな二重の円を紐や棒を使わないで描くなんて。」

 千代子は頭を抱えた。……そして、その時、私は閃いた。

 「千代子、あれやって!」


「何?」

 「くるくる回るヤツ!」

 私が言った瞬間、千代子も気づいたようだ。アクセルを踏んで走り出し、農場の一角に向かう。雪も時計もまだ行ったり来たり。私たちとこの車の他は全て「時のサーマル」とやらがとけた状態になっているようだ。しかし、この車が踏んだ雪面のタイヤの跡は残っている。大丈夫だ。

 「ここなら平らで、大きい二重の円が描けるわ。定常円旋回すればいいんでしょ!」

 定常円旋回。車の後輪を滑らせ、いわゆるドリフト状態にして綺麗な円を描く、またの名をドーナツターンと呼ぶ技だ。千代子はいつも言っている。定常円旋回は皆が良く練習っていうけれど、定常円旋回は練習の為だけの物じゃない。完璧な円をタイヤで描く、それこそが完璧なドリフトの、漂流の支配者(ドリフトマスター)の証なのだと。

 「私たちが一番簡単に大きな二重の円を描くなら、それが一番簡単だと思うの、出来るでしょ。」

 「誰に向かって言っているの、私の雪上での定常円旋回は日本ジムカーナ界の神である川野さんに、神と言われる程なのよ!」

 神の大安売りだが、その言葉に嘘は無い。私が助手席の上の取っ手を握ると同時に、千代子がハンドルとアクセルを大胆に、かつ精密に操作する。千代子の父が改造した、車の後部の赤いエンジンが唸りを上げて、後輪が滑り出す。同時に千代子はハンドルを逆に切り、カウンターを当てるという状態にする。そこまで来ると千代子の操作は大胆さを捨て、ひたすら精密に動かされる。

 千代子は視覚情報だけではなく、手足の感覚、腰での横滑り量の把握、耳での音の把握で、完璧な円を描いていく。少々の雪ハネはあるが、前輪の左右のタイヤと後輪の左右のタイヤ、それぞれが同じ軌跡となった、直径15mくらいの綺麗な二重の円がくっきりと雪面に描かれた。それと同時に千代子は車を止める。

 「リクエストには、出来る限り答えたつもり。押してみて!」

 私は腕の時計の竜頭を長押しした。二重の円が青白く光って、その間に数字のような文字が流れる。


 いつの間にか円の中心で、体を青白く光らせた人のようなモノが、耳を押さえてプルプルして、しゃがんでいた。

 「まったく酷い音ね。悪魔の魔法陣の描き方なのかしら……あら、あなたは、だあれ?」

 やや甲高い声で、体を青白く光らせた人のようなモノが、立ち上がりながら私を見て言う。私は軽トラを降りて名乗った。

 「私は箱田雛、深山繭の孫です!」

 昔、お祖母ちゃんに「いつか宇宙人に遭遇しても話が出来るくらい、心を強く持ちなさい」って言われた記憶が蘇る。しっかり話さなければ。

 「繭さまの孫……そうですか、あなたがその『とけゐ』を持っていると言うコトは繭さんは天に召されてしまったのですね。素晴らしい時の魔女だったのに。」

 やや悲しそうに、体を青白く光らせた人のようなモノが言う。

 「お祖母ちゃんが魔女?」

 聞いては見るが、あのお祖母ちゃんが魔女だとしても私は動じないだろう。そんな人だった。

 「魔女というか、管理者というか、支配者というか……その『とけゐ』はこの世界の全ての時の流れを調整する物なのです。その持ち主こそが繭さま、そして今は雛さまと。」

 「で、アンタはいったい何モノなの?」

 車を降りて来た千代子が言う。この不思議な状態なのに、完璧な定常円旋回を悪魔呼ばわりされて腹を立てているようだ。見た目は眼鏡におさげの小学生なのだが。

 「何、今度の下僕はヒトなの……人にモノを訪ねる時は自分からって習わなかった?」

 「それはアンタも同じでしょうが、私は東山千代子、雛の友人よ!何よ下僕って。」

 千代子がキレ気味に言う。

 「私は時の神、カセシオ。『とけゐ』の持ち主の命に従い、この世界の時を調整する者です。下僕とは『とけゐ』の持ち主の手となり足となる者です。」


「神が人に従うって……どっちかって言うと、アンタが責任逃れの為に『とけゐ』の持ち主を必要としたんじゃないの?そして雛に従うってコトで言うと、アンタと私は同格なのね?」

 勝手に下僕にされた千代子の怒りは、ヒートアップするばかりである。

 「責任逃れといわれれば……そうかも知れません。あと、下僕と同格とは言えないんじゃないかなぁ……まあいいや。雛さまが私を呼び出した理由は『時のサーマル』をとかしてしまったからですね?」

 「そうです、何とかなりますか、カセシオさん?」

 私たちが定常円旋回で二重の円を描いたのは、狂った時間を戻すためだ。神様と千代子を喧嘩させるためではない。

 「それはもう、雛さまの命であれば即に。しかし、なんでこんなコトに。繭さまは『とけゐ』の箱に取説を入れていたハズですが?」

 カセシオが首を傾げて不思議がる。

 「知らなかった!知りませんでした!!内箱の下に取り扱い説明書が入っているなんて。」

 「まあ、今回は事故と言うしかないですね。『とけゐ』の取り扱いには注意して下さい。あと、『とけゐ』で人の命を救うようなコトは、しないようにして下さい。それは命自体の否定となり、それで救われた人には、後にさらなる過酷な死を与えるのが世界の理です。」

 カセシオが真面目な口調で話す。『とけゐ』で人の命を救うコトは叶わないのだ。お祖母ちゃんが帰ってくるかもと、少し期待をしたのだが。

 「わかりました。そして、取り扱いには注意します。でも私になにかあった時は……。」

 「『とけゐ』は自分で相応しい人を探しに行きますから大丈夫。そして、雛さまが念じれば『とけゐ』は、どこからでも雛さまを探してその腕に着きます。」

 「もちろん雛さまか下僕が魔法陣を描けば、私もすぐに参ります。そして、もしこの世界の時に何かが発生したら、私が雛さまを呼び出すコトもあるかもしれません。時の魔女として……まだ時の魔法少女かしら。そして、下僕も。」

 「私も?」

 「はい、私を見た以上は。どうか雛さまと『とけゐ』を助けてあげて下さい。そうすれば、そのうち下僕と呼ばない日が来るかも知れません。」


 「今から呼ぶな!」

 千代子はそういいつつも、笑顔に変わっていた。これからも私を助けてくれるに違いない。千代子は私の親友だから……。

 「では、私はこれにて。雛さま、出来るだけ気負わずに普段の生活を続けて下さい。」

 「ええ、カセシオさん。『時のサーマル』をとけさせたコト、急なお呼び出しをしたコト、本当に申し訳ありませんでした。」

 私が言うと同時に、カセシオさんが手を振りながら景色に溶け込んで行った。ほぼ同時に雪の動きが普通に戻った。『とけゐ』と車の時計も。カセシオさんが『時のサーマル』を直してくれたのだ。急に気が抜けて、体が冷えてきた。私は雪水を被ったコトを思い出した。

 「下僕、シャワーとお茶の用意を。」

 「あんたまで私を下僕扱いかい!まあ、水をかけたのも、『時のサーマル』を溶かしたのも、私が悪いといえばそうなんだけど。」

 「ごめんね、変なコトに付き合わせる形になって。」

 「まさか、あのお祖母ちゃんが魔女とは……似合うけど。良かったじゃん、念願の魔法少女だよ。」

 「魔法少女じゃなくて、魔法少女も出来るくらいの声優さんになりたいだけだよ、私は!」

 「まあ、手伝えるコトは何でもするわ。せめて下僕じゃなく使い魔だったら良かったんだけど……あんまり変わらないか。」

 こうして、もうすぐ中学2年生の私は、世界の時を司る、時の魔法少女になった。いつかまた、千代子に大きな二重の円を描いてもらうコトがあるのかもしれない。お祖母ちゃんが私を選んだというコトには何か意味があるのだろうから、出来るだけ立派に勤め上げなければ。

 軽トラは千代子の家に向かう。シャワーを借りたら、持参のパジャマに着替えて、千代子の部屋で、これまた持参した古い魔法少女のアニメのDVDを観るのだ。

 「『帰宅後のステマ・まじか』、今日のは名作だよ、千代子。」


~Fin~

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