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しあわせは、薄氷の上に

 夜空を見たら、綺麗な半月が浮かんでいた。気候変動が激しい昨今だけれど、月と地球は順調に引き合う力を保ち続けている。

 「月が綺麗ですね」なんて高尚な会話はないが、夫との仲はずっと良い。10年以上連れ添っていても「世界中で一番私にぴったりな、素晴らしい人と結婚した」と思っている。今の生活は、神様からの素晴らしいギフトだと思う。
 人生というのは何か一つ欠けても、その人足り得ない。自分には二十代の頃、何度もさらう津波のような艱難辛苦があり、「よくぞ生き抜いた、自分!」と当時の言ってやりたいくらいなのだが、今のしあわせはその上に成り立っていることも事実である。あの頃、ひどく欠けてしまったものを、この10年ずっと、夫が満たしてくれている。望月のようなしあわせは、ひとえに夫のお陰様だ。

 そのぶん、私はふつうの人より慎重なのかもしれない。しあわせというのは薄氷を踏むようなものだという危機感が、いつもどこかにある。
 月の満ち欠けのように、人の感覚や考え方は日々少しずつ変動している。家族や仕事や健康に劇的な変化がなかったとしても、日々小さな決断をくり返しているし、方向性が1°変われば、年月を経て人生の流れは大きく変わる。
 生々流転、万物は毎日、止まることなく動いている。

 万物は流転することを忘れないことは、実はとても大事なことなんじゃないかと感じる。
 何かに没頭している間に、パートナーの感覚が違う感じになっていることは、仲の良い我々の間でも普通に起こっていることだ。だからこそ刺激になるとも言えるし、影響し合うことで発展していくものは確かにある。
 でも同時に、知らんぷりしている間に距離ができてしまうリスクも同じだけある。私に危機感を抱かせるのはそいういうところなのかなと思う。気がつかないように広がる距離なんて、おそろしい。知らない間に大事な人が他人になっていくなんて!
ひとつ良いことは、距離は計測可能だということ。相手を感じながら自分の心にもよく目を配っていると、隙間風にはすぐに気づける。

 大事なことは、すごく些細な違いが生まれた時点で気づけるかどうかで、ちょっとコーヒータイムを持つだけで修正されていくことが理想的。「あ、ズレているな」「もう少し時間を作っていろいろ話したほうがいいな」そういう自覚が出る頃ではちょっと遅い。まず間違いなく、まあまあ面倒な話し合いになる。激しくやってガッチリ繋がり直すのが好きな人はいいけれど、私はもう少しエコに生きて、別なことにエネルギー使いたい。微細な修正で終わる方を好むので、うちには大きな喧嘩はあまり起きない。

 激しさのレベルは好みだけれど、どんな修正も引き合う月と地球のようなもので、お互いのズレをちょうど良い位置に戻す引力だ。この有機的な引力と呼ぶべきものが、言うなれば愛、ということなんだろう。

 愛は関心がなければ育たず、水やりしてあげなければすぐに枯れてしまう。月と地球のような定理にはできないけれど、手塩にかけて育てるからこそ、厚みが増して味わい深くなるものなんだろう。



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