【短編】ぎこちない目薬
「ちょっと。今日も一滴、頼みますよ」
下の階の砂かけ婆からオーダーがあった。俺は目薬、俗称を「ぎこちない目薬」と呼ばれている。砂かけ婆、いい年して、超男前の桂男と同棲してるんだが、桂男の浮気をいつも疑ってるんだ。桂男ときたら、月夜の晩の女の手招きをやめないから、それで喧嘩になるんだよ。けど、あれはそういう妖怪なんだから仕方ないよなあ。かわいそうに、新月の日以外は、桂男、砂かけ婆に砂かけられて、目を赤くしてるんだ。
俺はもともと、ことわざ出身の妖怪だ。「二階から目薬」っていうじゃん?「もどかしいこと」を暗喩したようなことわざだ。こういうもどかしい奴らの仲裁頼まれるとかさ、そういう俺の人生のバックボーンもあるんだと思う。だからって全く、いやんなっちゃうよ。毎日老いらくの恋のフォローさせられるんだもん。
おまけに残念ながら、そんな出自が由来して、俺の仲裁方法は周りくどくぎこちない。二階から目薬をさすというルールがあるからだ。二階から、一階に向けて、木の節穴を通じてポタリ、とやる。手が震えたら即アウト、目薬は節穴の横に落ちてしまうという、成功率の方が低い方法だ。それでも、成功させた時の効果はすさまじく、あと100年は恋も覚めないという感じなんだな。
砂かけ婆はそれを狙っている。失敗したら、恋人は赤い目をして泣きはらすが、うまくいけば、これまでの噛み合わない喧嘩全てを抹殺できる。これまで一度も成功したことがないのは、砂かけ婆のよこしまな心が、手元を狂わせてしまうためだ。
「よし、今日こそはッ!」
砂かけ婆は息を整えて、一心不乱に集中した。
「はぁッ!」
砂かけ婆にムギュと腹を押されて、俺はぎこちなーく、一滴の目薬を発射した。
スローモーションで落ちていく目薬。
「オオットォ!」
「通過した!」
なんということか! 初めて目薬は、節穴を通過して、一階に向かったのだ!
「は、は、入れぇえ!」
砂かけ婆は興奮して俺を放り出し、ガバッと節穴に顔を被せた。次の瞬間。
「ああっ!」
桂男の驚きの歓声が響いた。
「は、入ったー!」
「嘘! カツラくぅうん!」
砂かけ婆はバッと顔を上げると、節穴から見える小さな桂男に両手を降って、おおはしゃぎしている。
「これで、あたしたちの愛も、永遠ね!」
砂かけ婆が涙ぐんで永遠の愛を叫んだ次の瞬間、「いったーい!」という静かな声が響いた。
「あれ?カツラくん?どうしたの?」
見ると、下の階にいる桂男は目と鼻を抑えている。
「お砂ちゃん…喜び方、間違ってる…」
桂男は、ドッと一階の畳の上に倒れ込んだ。
「えっ。どうゆうことッ!?あたしたちの永遠の愛は?!」
砂かけ婆は狼狽し、節穴に向かって再び顔を突っ込んだ。桂男の周りには、結構な量の砂が山積している。興奮のあまり砂かけ婆が手を振ったせいで、桂男は顔面にモロに砂を喰らってしまっていたのだった。
「あー、残念ながら、元の木阿弥ですねえ。俺の目薬の効力、失われちゃいました」
俺はなるべく残念な気持ちで、ナレーションする。
「おばば、仕方ないよ。俺さ、元々ことわざ時代、遠回しすぎて意味がないっていう意味も持ってたんだもん。こういう結果になっちゃっても、なんら不思議はないというか…」
砂かけ婆はへなへなとその場にしゃがみ込んだ。俺の言葉なんて耳に入らないという風だ。
やれやれと俺は思った。
「どうしてこういうタイプの人は、成功率低いことが好きなんだろうね?」
しきりに首を傾げる俺に、奥座敷の福助が、ホッホッホと笑って嗜めた。
「それこそ、妖怪ぎこちない目薬の価値だろうに。だからまあ、そう言うな。それ以上、おばばをいじめてくれるなよ」
(1484字)
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