憧れと適性について

誰しも憧れている人間や
ああなってみたいと思う人間はいると思う。
親族、同僚、先輩、後輩、先生、
有名人、偉人など色々あるだろう。
誰かをリスペクトするチモキは大切であり
人を成長に導くものだ。
しかしその人そのものになろうとすることは
ナンセンスであり
それは自身の人生を
ドブに捨てるようなものだと
私は考えるが
憧れの人の思考法や手法などを
真似ることは有益であることは間違いない。
しかしここで一つ問題があることに
最近私は気がついた。
自分の適性を無視して
憧れの人のやり方を真似ることは
うまくいかないということを。
もう何年も前から週4時間メソッドで
有名な米国のティム・フェリス氏の
動向を私は追っている。
彼の効率を追求したライフスタイルに
私は憧れているわけだが
彼のような超効率的なライフスタイルを
私はデザイン出来ていない。
彼の思考法が役立ったことは
もちろんあるが
人生が加速度的に激変した感覚は
正直言うとない。
これは私の適性とティムの適性が
違うからではないかと思ったのだ。
彼はおそらく
「論理と効率性」タイプの人間だ。
「創造と革新」タイプの私には
相容れぬものなのだ。
一方で例えばダリは彼の作品や著書を
知れば明らかなとおり
「創造と革新」タイプの人間である。
彼の偏執狂的批判的方法は
私の中になぜかスッと入ってくるのだ。
それはなぜか。
適性が同じだからである。
つまり私がティムの手法を取り入れるならば
彼の手法を偏執狂的批判的に解釈して
取り入れる方がよいであろう。
同じく「論理と効率性」タイプで
あると思われる投資の神と名高い
ウォーレン・バフェット氏の手法を
取り入れようとするならば同様に
彼の投資法を偏執狂的批判的に解釈して
取り入れるべきなのである。
とにもかくにも
まずは同じ適性の人間に
憧れなさいと言うことである。
君が苦しまずにすむから。
君には憧れるべき人間がいるのだ!
ザッツオパチュニッ!!

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