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すべらない話しで雑談力を磨く

リモートになり人と話さない数年を経て、若い人の雑談力の低下が深刻に。夏以降は段々と以前のように直接会って話す機会も増えます。誰もが笑える何度話しても受けるそれぞれのすべらない話。長く生きてるから私の場合、バカ過ぎるエピソードばかりいろいろあります

○北関東の田舎で貧乏なのに、明治生まれの祖母が3時に抹茶をたてます。しかも母に手作り和菓子を毎日要求する貧しくも悲しい嫁姑問題。孫の躾に厳し過ぎて正座の訓練として字の書けない3歳から写経と習字をやらされていました

○あまり聞いたことがない、工場附属幼稚園だった故、親の偉い順に並ぶという不条理。うちの父は偉くないから楽器が水ぶえ。鼓笛隊でコップを持って行進したとほほでした

○駄菓子屋に行き始めた3歳のとき、ホームランバーの当たりの法則を見つけ18歳まで黙っていました。あんたよく当たるねと高校の学食のおばちゃんに言われて、棒当たりアイス生活をやめました

○山口の田舎時代にトンビが頭に止まって重くて泣きました

○幼稚園の弟が大怪我をして母が病院の付き添いで1か月家にいないから小4にして家事をはじめた悲しい話。兄に弁当を渡して病院に届けました

○小6で山口から東京に引っ越して初伊勢丹の試着室の隣からひなげしの花の衣装のアグネスチャンが出てきて驚きました

○中学生のとき学級委員だから遠足のバスは一番前。暇だからバスガイドの話を完コピしていて今も言えます

○中学生のときにずうとるびの追っかけで夕方5時に銀座テレサでぎんざナウを見てタクシー移動。6時から録画の渋谷NHKホールレッツゴーヤングをみて、8時から目の前の渋谷公会堂で生の紅白歌のベストテンを見て同じ日に三番組をクリア。ぎんさナウにはキャロルが出てました。

○中学生のとき妙法寺の裏のベンチで空を見て口をあけたら鳩のフンが喉の奥に入った話

○高校のときにインドカレーが好き過ぎてインドシェフのカレー屋でアルバイト。お疲れ様が手を合わせナマステだったこと、懇親会で話が通じないからニコニコしてただけだったこと

○高校時代一人暮らしをして銭湯が終わると新宿のサウナに行き、銀座のママ達にやたら可愛がられました。うちに来ないとママにスカウトされた話

○元祖中本で蒙古タンメンや北極の生まれるのを間近に感じました

○OL時代黒いロングのプリーツスカートの裾がトイレに行ったときにパンツに入り、スカートがふんわりとして後ろだけ宣教師のザビエルみたいなブルマになり太もも後ろ丸出しで上野で注目された話し

○元旦の宮古島で胆石になり痛くて全身から脂汗がでた

○代理店時代あまりに寝てなくて起きているために点滴のガラガラと一緒に会社にいた話

○SMAP全員と街でばったり会ったこと

○神宮ゴルフの打ちっぱなしで目の前が森進一が幼稚園以下の息子三人といてわんばくで大騒ぎ。後ろをみたらまさかの吾郎ちゃんが機械の使い方がわからないから球の出し方を教えてあげたこと。前森進一後ろ稲垣吾郎。なかなか豪華だったこと

実話で短くオチがあるが基本です。休みの日にちらっと考えるとよいかもです。人を楽しませて会話を続けるはなかなか楽しい知的ゲームだなぁと思います



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