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空海の戦略は天皇すら弟子に
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空海の戦略は天皇すら弟子に
空海が、自分の法名を自分で作り、
思い通りのセルフイメージを
作ったことをお伝えしましたね!
名前は、
その人の「パートナー」 であり、
一生切っても切れない、
あなたの全人格の
よりどころとなるものです。
空海は、密教を広めるための
よい方法(戦略)を考えた。
ニッポンの権力トップ・・
天皇を味方につけようと。
まず、友達ぐらいになるまで
コミュニケーションをとりながら・・
しまいには、
弟子にするくらいの師弟関係・・
天皇のメンターになろうと決めたらしい。
その天皇とは、「嵯峨天皇」・・
そう日本を代表する三筆のひとり。
(あとの2人は、ご存知の・・
空海と遣唐使仲間の橘速成)
![](https://assets.st-note.com/img/1685218531670-41buWtMp0j.png)
空海は、どのように
嵯峨天皇に近づいたのかというと、
書が大好きな天皇に、
ひたすら手紙と一緒に、
遣唐使として中国に渡ったときに
持ち帰ってきた
いろんな古典書物を
何度となく献上したらしい。
天皇はすごく喜んで
空海と友達になり、
密教もおおいに理解され、
また、書の達人であった空海を
大好きになって信頼したワケである。
当然、書道の世界では、
空海の書を避けては通れません。
その代表的なのは、
空海が最澄に送った手紙「風信帖」↓
![](https://assets.st-note.com/img/1685218582890-kc6iKmBGDv.png?width=800)
空海は、とうとう天皇を弟子にまでする
事実上メンターとなった(50歳ころ)
その後は猛スピードで、
高野山・東寺などを建立し、
一挙に真言密教を確固たるものにした。
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