『エビス・ラビリンス』試し読み(4)

「エルザッツ!」 秋鹿憂

 六月一日、奇跡的な晴れ、新宿駅西口改札、十六時。約束した時間から二十八分ほど経ち、”Here but now they're gone”、概ねそのような看板や駅内案内もあらかた見飽きた頃に、高田律とようやく合流出来た。わたしのディシプリン。彼女は唇が荒れている様子だ。

 新宿西口コンコースは、店舗がどれほどに意趣を凝らして派手派手しく照明を駆使しようとも、来し方行く末の通り仄暗く、朝夕の殺気立った群衆と較べ、なんとも一層弛緩した空気で、行き交う雑多な人間、つまりは孤児、寡婦、異邦人、或いはここをまさに宿にしているらしい者、それらが溶け合ってひとつの生命体を成しており、調和しているかのように見えつつ、いたるところで腫瘍が炸裂しているにも関わらず、悲鳴の一つも上げることも出来ない瀕死の獣の様相だ。

「やあ、こんなところにも鳩がいる。おまえはほんとうに卑しいなあ」

 こと律に関していうと、この程度の遅刻は破格に良心的と言えるし、「なにもかも、連中に質量があるのが悪い」というエクスキューズまであった。質量。彼女、律が「連中」と言う場合、人間一般を指す事が多い。お前もそうだろうと問うたことがあるが、「文系だから集合論には疎い」などと度々はぐらかすので、いちいち指摘するのはやめた。

 そのそもそものはじまりは、律が「五反田バレーという、ソフトウェアの聖地でございます、とでも言いたげな、早朝の新宿のゲロみたいな自意識に取り憑かれた土地があるわけだけど、そこにそれこそ馬鹿が食べるような馬鹿げたステーキを出す店がある。馬鹿が食べるものを食べよう」と言い出したことで、こういうことになっている。

 律は二十時にごはんを食べに行こうと誘っておきながら、二十一時三十分に寝坊した旨を電話してくる類だ。
「確かに部屋にあるはずの本が見つからないから、今日は駄目だね」と約束を反故にするということもあった。「右も左もわからない。自分の部屋で迷子になるとは。なんてことだ」律は文字通り悲嘆に暮れている様子だった。リテラリィ。
 気になっていたエッセイ集を首尾よく安価に手に入れる事が出来た(確か一度挑んだ書物なのだが)ことだし、今日もある程度で見切りをつけて、適当なカフェでアイスコーヒーでも飲んで帰ろうか、という程度にしか期待していなかった。暗号学的な確率で落ち合うことが出来たのなら望外だ。

 わたしは最近、毎日十二時間以上眠るのを禁じた。八時間立っていること、或いは座っていることを己に課す。一日最低四時間を数値目標とした。晴れていれば散歩もする。そのために決まった時間に食事を摂る。歯もきちんと磨くし、身綺麗にする。メトロノームみたいなもの。日々の飽くなきディシプリン。それ以外にわたしを再構築する術はないのではないかと考えている。

「右の方に行けば、五反田バレーに着くはずだ。いつか、きっと」
(続く)


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