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55歳にして思ふこと。(ただの呟きです)

前号からの1週間は忙しかったというか落ち着かなかったというか。
なので披露できそうな気の利いたネタがなくてですね。でも絶対に週に1本はnoteに投稿するぞと決めたので、ちょっとボンヤリつぶやいてみます。

ワタシが週末に生息している地から、築地本願寺さんは徒歩で7分くらい。しかし日中は仕事をしているのでナカナカ伺えなくて。先週末にやっとご挨拶できました。

ほんと、そうですよね。

伺ったのは土曜日の朝10時頃でしたが、すでに参拝者が山盛り。他人さまをフレームに入れない構図はこの画が精一杯でした。

後からこの掲示を拝読して、嗚呼おっしゃるとおりでございますと。人間は欲深い生き物です、アレが欲しいコレが欲しいオカネが欲しい・・など。まったくもってすみませんです。

で、急にナンですが。

今月めでたく55歳になったワタシが最近理解できたコト。本願寺さんの掲示板をみていたら吐露したくなりました。はだかにて生まれてきたのに、なんでオジサンになるとこうなるんだ?という。

問い。
①なんでオジサンたちは食後に楊枝を咥えてシーシーやっているのか。
②なんでオジサンたちは昔話ばっかりするのか。
③なんでオジサンたちは懐メロが好きなのか。
など、なんか分かってきたような気がするのです。

答え。(理解できたコト)
①嗚呼、歳をとると本当に食べた物がすぐ歯間に挟まるモンなんだな。
 ワタシも挟まらないのは麺類だけで、鶏肉とか、ひとくち目でスッポリ。
②今思うと、高校生の時が一番楽しかったような気がするワタシも。
 金品臭がない交友関係は、あの時期が最後かもしれない。
③今朝、突然に脳裏で流れた楽曲は『唇よ熱く君を語れ』でした。なんで?
 そうね、10代で聴いた歌は今でも歌詞を覚えているもんな。
 今朝食べた物は思い出せないけど。嗚呼そういうことか。

要するに、ワタシも立派なオジサンになったってことですな。あと10年で亡くなった時の父と同い年になるんだな。えらいこっちゃ。

大好きな世田谷観音寺さん。
2007年に父の戒名をつけて頂きました。

おかげさまで忙しい毎日ですが、たまには立ち止まってこうやって考えて、イロイロと断捨離すべきお年頃になったのかもしれない。はだかで生まれてきて、死ぬときは何も持っていけないのだから。

何も持っていけないってことは、この世で発生したヒトの繋がりも、その時には一旦御破算になるワケだ。良くも悪くも。

そうか、そう思って辛抱しよう。精進しよう。どうせ御破算になるのだから、良い思いも嫌な思いも今だけだ。

今週はまとめも1枚もなしでひとつ。申し訳ありません。
2023.03.22




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