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震災を見る

神戸にある阪神・淡路大震災を伝える施設、『人と防災未来センター』に行ってきた。

日差しはあるのに寒い。駅を出た途端に冷たい風に震えた。
最寄り駅(阪神電車、岩屋駅)の目の前の道路は山に向かって結構な傾斜の坂道。山というのは六甲山。
つまりは本家本元の六甲おろしである。
施設に向かう坂道を降りると視線の先にはすぐ海。落差の激しい土地、神戸。

このあたり、灘区は当時一番被害がひどかった。
古い木造の家屋もひしめいており、それらが軒並み崩れ瓦礫と化した。撤去されたあと、現在は高い高層住宅ビルと広い道が出来ている。
横倒しになった高速道路はもちろん、しっかと建っていた。
安藤忠雄氏が設計した巨大な建物、兵庫県立美術館をすぎればすぐに目的地に到着である。

地震が起きたのは29年前、1995年(平成7年)1月。
大阪に住んでいた自分の家もかなり強い揺れがあったし、ものが落ちたりもしたし、なにより早朝のことでびっくりした。
当時神戸に住んでいた親戚のため救援物資を運んだことなど、覚えていることもあるがもう記憶はだいぶおぼろげである。


かなり立派な建物

施設では地震時の映像資料や記録がたくさん残されている。


ひしゃげた側溝の蓋


ぐにゃぐにゃに波打つ線路

記録が残されているばかりではなく、地震のメカニズムについてやその他の災害、津波や風水害についても学べる。
ボランティアの方々が説明してくれたり、シミュレーションで実践してみたり、かなり有益な施設である。
西館・東館の二つ、平均滞在時間は約2時間とのことだが、しっかり見て回ってみるととてもそれだけでは足りない。子供に限らず大人もぜひ一度は訪れると良いだろう。


備えに対する学びもある

阪神淡路大震災から、今年の能登半島地震まで29年。
その間にも大きな地震、土砂災害や洪水など、日本は災害大国という名の通りたくさんの天災に見舞われた。
あの頃からこの国は、自分たちは、より強固な対策をとることが出来ていたのだろうか。29年前のあの時の辛い経験を活かし、失われた命に恥じぬ行いが出来ているだろうか。
今一度、学びなおすよい機会が得られたと思う。

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