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読書感想文【センセイの鞄】

2001年 川上弘美著、谷崎潤一郎賞作品。
静かで淡々、というよりは粛々と、四十路前の独身女性ツキコさんと七十頃のセンセイの間に流れる時間が描かれた純文学。

初めての川上弘美作品は掴みどころがない文体だったが、読了感は良い。
純文学とは言うものの理屈っぽさはなく、平素な言葉遣いであり、短い章で区切られているので読みやすかった。

お相手のセンセイが国語の教師とあってか、または既に一般的な結婚適齢期とやらを過ぎ一人身軽で呑気な独身生活を送ってきたツキコさんが主人公だからか、コトはすべてにおいて奥ゆかしく、じれったく、輪郭のボンヤリとしたまま進む。
地の文でも会話文でも、なかなかはっきりとしたことは描かれないが、それが妙にリアルでもある。

主人公のツキコさんは、きちんと自活した大人の女性だが、それは一面にすぎない。彼女自身は『きちんとした「大人」になっていない』と己のことを評する。
子供の頃は随分大人だったのに、時間が進むにつれて反対に大人でなくなり子供じみた人間になってしまった、時間と仲良く出来ない質なのかもしれない、と。

だがこれは多分、程度の差こそあれ、多くの大人が感じていることだろう。
完璧な、100%の大人というものは存在しない。誰もが内側のどこかに、子供の面を持っている。ツキコさんより三十は離れ、遥かに大人に見えるセンセイにだって、大いに子供なところがある。
役に立つかどうかもわからないものを後生大事に溜め込んでいたり、ツキコさんがアンチ巨人と知ってわざとらしく煽ったり。

作品は終始ツキコさんの視点で語られる。
センセイに会いたいと思ったり、はたまた距離をとってみたり、小さな子供のようにセンセイを振り回すツキコさんだが、センセイもセンセイで結構ツキコさんを振り回している。
二人きりの旅行に誘って、自分の内面に触れさせて、非常に好き勝手で思わせぶりだ。ツキコさんのことが好きなんかい!違うんかい!?とじれったくなってしまうところだが、良い意味で突き放した淡々とした文章になんだかんだと最後までつきあわされてしまった。これが純文学の力、川上弘美の力というものだろうか。

なんともお互い様な不器用二人、これは似たもの同士お似合い、ということなのだろう。
センセイの前で子供のように駄々をこねて泣いて、そして子供らしく素直に好きだと言うツキコさんは、大人の女性だけど可愛らしくもある。
最後は予想のつく終わりではあるのだが、分かっていながらやはりグッと胸に来たのは、作品に十分惹き込まれた故だろう。作品の力、とはこうしたものを言うのではないだろうか。
良い読書であった。

作中で出てきた伊良子清白(いらこせいはく)の詩が、なんだか良かったので記しておく。


 旅路はるけくさまよへば
 破れし衣の寒けきに
 こよひ朗らのそらにして
 いとどし心痛むかな

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