凪の自分と生きること

将来に対する焦燥感に飲み込まれて、2ヶ月ぐらい動けなくなって。
そのままじゃまずいと思って、病院に駆け込んで、薬をもらった。

薬飲んで一ヶ月ぐらい経った。

最初はそんなんで効くかよとか思っていたけど、ちょっとずつ効果がわかってきたような気がする。

前みたいなひたすら言葉が浮かんできて、それに圧倒されて突き動かされることが減ったし、逆に悪いことばかりが浮かんできて焦燥感にかられて布団の中で動けなくなるみたいなこともなくなった。

良くも悪くもフラットな感じ。

ちょっと前までは、うつっぽい状態になると思考がよくわからない方向に偏って、思いついたその内容を誰かにを伝えたくて仕方なくて、文章を書かないといても経ってもいられなくなることが多かった。

絵が書きたくて仕方がなくて、一日中お絵かきしているだけの日もあった。

でも、いまはそういう時間が存在しない。ひたすら凪の時間だ。

別に俺の生きている世界は前と変わらないのに、ぜんぜん違う異世界で暮らすようになったような感覚がある。

これまでは、「将来に対する希望」と「将来に対する絶望」この2つが躁鬱を支えていた。

もしこんなことができたら、俺はすごいことができるんじゃないか!?と言う希望に突き動かされて活動し、
かとおもいきやちょっとした失敗で、こんなこともできないなら・・・と絶望に支配される。

そんな生き方をしていたはずなのに、薬を飲み始めてから、そして仏教の教えを学び始めてからそういうことを考えることが減ってきた。

昔みたいに、4000文字とかを急に書き上げたり、思いついたプログラムを徹夜で実装するなんてことはできなくなってしまった。

それが、普通なのかもしれない。

でも、ちょっとそれは寂しいような気がした。
あの衝動性が私を形成しているような気がしていたから。

だから、20数年間の私とおわかれをして、新しい自分で生きていく。

ここが人生の転換期。これまでの波にたよった活動をやめて、こつこつと、すこしずつ。そういう生き方をできるように頑張っていくぞ。

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