私たちの脳がスマホになる――アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』(新潮新書)

思っていたよりまともな(まじめな)本であった。「〇〇脳」という言葉には、つい警戒してしまうし、警戒したほうが良いとは思うのだが、本書『スマホ脳』で指摘されていることは、別の本(主に依存症や脳神神経科学)でもされている指摘である。ここでは以前、デイミアン・トンプソン『依存症ビジネス』(ダイヤモンド社)、フィリップ・ジンバルドー、ニキータ・クーロン『男子劣化社会』(晶文社)を紹介したが、この系譜に位置づけられる。

筆者ハンセンの主張は明確だ。「人間の脳はデジタル社会に適応していない」。人間の脳は、長い進化の過程で、自分たちの生存に有利な条件を求めるように適応してきた。食糧(甘いもの、しょっぱいもの、カロリー)、感染症や他人からの暴力の回避、評判・噂(それもネガティブなもの)に気を配って来た。現代社会は、食糧の心配や、病気の心配、共同体から追放される心配は、基本的にしなくてよくなっている。にも関わらず、食べ過ぎてしまったり、過剰に病気(とくに感染症)を恐れたり、ドゥームスクローリング(インターネットで、ネガティブなニュースを探し求めること)したり、やっていることの本質は、原始時代とたいして違わない。

私たちは注意散漫にできている。そのほうが生存に有利だったから。何か起こった時に、すぐに反応できるようにする。食糧のたくわえができないのであれば、今あるものは今使うほうがよいし、今空腹なら今食べ物を探すしかない。人類が農耕を始め、文明を築くに連れ、「我慢」することを学習するようになる。今やりたいのを我慢したほうが、後で多くの報酬が得られる。遅延報酬耐性を各種の教育によって身に着けるのだ。散漫になりがちな集中をコントロールすることで、さまざまな発明・発見もしてきた。今のことしか考えなければ、いつまでも文明の発展は見込めない。
しかし、繰り返すが私たちの脳はいまだに注意散漫で、報酬が遅延することにストレスを感じる。目の前の脅威に対応するために進化した脳は、35年住宅ローンのような、あるいは生活習慣病といった、うすく長くのばされたストレスへの耐性はきわめて低い。

脳はつねに新奇な刺激を求める。人間の脳はドーパミンという物質を出して、人間を動機付ける。ドーパミンは何に集中するかを選択させる。快楽をもたらすのはエンドルフィンだが、快楽への期待を呼び込むのがドーパミンだ。ドーパミンをもとめて、人間は次々にあたらしい刺激を求める。やっかいなのは、刺激自体に強烈な快楽がなくても「新しい刺激があるかも!」という刺激への期待それ自体が、ドーパミンのトリガーになるからだ。ギャンブル依存の文脈でたびたび指摘されるが、人(や一部の動物)は確実に報酬がもらえる場合より、報酬がもらえるかもらえないか分からない場合(間歇刺激)のほうが、ドーパミンが放出される。ギャンブルのマシーン(スマホのガチャも)も、これを設計思想にもつ。もらえる報酬がすごいかすごくないかは、実はギャンブル(ドーパミン)依存にはあまり関係がない。

で、スマホである。スマホは、ただでさえ集中するのが苦手な私たちの注意をひきつけるさまざまな仕組みを内包している。スマホやら何やらでマルチタスクをこなしているように思えても、実際には作業効率は落ちていて、集中などできていない。SNSはプラットフォーマーの秘伝アルゴリズムが、間歇的な刺激をユーザーに送り、ユーザーの精神状態を悪化させるほど、影響をあたえる。21世紀の常識ともなりつつあるが、「スマホは持っているだけで集中力を奪う」事例が、本書でも紹介されている。電子書籍も思っている以上に集中できていないようだ。(これは別の本でも似たような指摘を目にした。電子書籍は同じスクリーンに異なるページが次々に表示されるので、紙の本をめくるときと脳の処理が異なり、電子書籍では、紙の本ほど、物語が記憶に定着しないそうだ…。詳しくは『AIを生んだ100のSF』(ハヤカワ新書)参照)。

本書の原タイトルはSkarmhjarnan(アルファベットの上に記号あり)で、どうやら英語に直すとScreen Brainを意味するようだ。「スクリーン脳」。スマホ脳でもスクリーン脳でも、いずれの場合も、「スマホ/スクリーンが影響を与える脳」という意味になる。ところが、「脳スマホ」とでもいう事態が生じているのではないかと私は感じるのだ。脳の一部がスマホという物質として現実世界におかれ、私たちはスクリーンをタッチすることで、自分の脳のドーパミンを操作している。まるでスマホは脳に直結するリモコンのように。いや、もっと直接に、脳の一部が外部化したもののように。そうスマホをとらえられないか。むろん、主導権を握っているのはスマホやスマホ上でのサービスを提供する側だろう。「自発的に自分の脳を自分で操作している自分」という、「身体に影響を受けない精神」図式は、ここにはあてはまらない。脳の機能の一部を外部化するには、テクノロジーが必要で、テクノロジーは巨大な民間企業の「協力」なしに私たちはその恩恵に与ることができないわけで、結果、「自発的隷属」とでもいうべき状況が生じている。

筆者は、本書末尾に、スマホ脳への具体的対策を提言している。もっともな指摘で、実行刷れば効果は期待できる。期待できるのだが、デジタル化という社会全体の潮流をかえるわけではないのが、また難しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?