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アメリカADAツアー⑭

2015年7月29日記録報告
NCIL会議最終日。
朝8時半にホテルグランドハイアットに集合だったため、
朝は6時起き、7時半出発。
メトロ、通勤ラッシュだったら嫌だなぁ、
と思っていたけど、全然余裕でした、朝8時のメトロ。
午前中は、日米のCILメンバー交流企画。
4つのグループに分かれ、
日米混ざってフリートークセッション。
開始5分前まで、アメリカメンバー0人だったので、
日米交流じゃなくて日本人会になるんじゃ…と
心配してたんだけど、
呼び込み効果もあり、直前になってどんどん増えて、
最終的には会場いっぱいに。
私がリーダーを務めさせてもらったグループも、
6人のアメリカメンバーが来てくれて、
聴覚障害への支援のこと、
脳性マヒの人の役割、
地域移行促進のための法律のことなど、
いろいろ話が聞けました。
ただ、言語障害が重い人が数名いたため、通訳に時間がかかり、
残念ながら、一言も話す時間が持てなかった人も。
セッションプログラムが終了後も、
会場のあちこちで日米交流は尽きず。
誰とお話ししようかなぁ、
と思ってキョロキョロしていた私に、
1人の女性が話しかけてきました。
彼女は、セントルイス、パラクォッドのCILの所長だった
マックス・スタークロフの奥さん、
コリーン・スタークロフさんでした。
日本に自立生活運動の考えを広めるために
来日したこともあるそうな。
日本からのメンバーを大歓迎、応援してくれていました!
次に話をしたのは、22歳の女の子。
ちょっと、見るからに怪しかったんだよねぇ…。
もしや、と思って話してみると、
やっぱり、同じ障害、SMAでした!
ちょっとー!同じ障害じゃーん!(°▽°)
「うそー!ほんとー!?ねぇねぇ、タイプは!?」
2型だよー!(°▽°)
「きゃー!やだー!なんか楽しー!!」
だって、身体の曲がり具合、同じじゃーん!?(°▽°)
「そうなんだよねぇー!腕の感じとかも、ちょー同じー!!」
私、最近、嚥下障害進んで、
食べられるもの少なくなっちゃったんだよねー。
麺類とか、もう無理だねー。
「Oh, noodle...あれは死ぬよね。私も絶対無理。
ちょーdangerous...」
私、呼吸器だけど、使ってないの?
「夜間、BiPAP使ってるわ。
日中はPCA(Personal Care Assistant)6時間使ってるけど、
夜は、医療だから看護師が泊まってるの。
看護師って、お母さんみたいな年齢の人ばかりなのが
ちょっと嫌だけど、PCAに呼吸器の操作とか指示するの、
ちょっと面倒だし…。」
PAじゃなくて、PCAって言うの?
「Ah... NCILの人たちが、
careという単語を使いたがらないのは知ってるわ、
医学モデルっぽいからでしょ?
でも、私は呼吸器も使うし、医学要素もあるし、
いいかな、と思ってるの。
時給は9ドルくらいだけど、
時給以上の仕事をしてもらっていると思うわ。」
……と、話は尽きない。
ミズーリ州出身のサラ。
是非、今後ともメールやFacebookでつながっておこう。
その次にお話ししたのはハワイの人。
ちょっと、名前は分からなかったけど。
はろー。ハワイに呼吸器の人いますー?
「Ah...呼吸器ね。いるわよ。外には出てこないけど。」
病院にいるってこと?
「No, 病院に長期いることはできないから、
ほとんどの人が家にいて、
家族か、PAか、看護師がケアしてるわ。」
なんで家の中にいるの?
「私はただの車いすユーザーだけど、
ハワイには車いすの会社がないから、
本国から輸送しなければいけないの。
でも、それが時間がかかったり、
連絡がうまくいってなかったり、
身体に合ってないものが届いちゃったりで、
そもそも自分にあった車いすを手に入れること自体大変なの。
私は、新しい車いすを去年の6月の注文したのに、
まだ来ないのよ!
そんな状態だから、
呼吸器を乗せられるような車いすを手に入れること自体、
まずはとても大変だと思うわ。
あとは保険の問題ね。」
出たー!保険の問題!!
オバマって、国民皆保険にしようとしてなかった?
なんでうまくいかなかったの?
「国民皆保険自体は、とてもいいことだと思うのよ。
でも、すべての国民の保険をカバーするために、
今まで自分のための保険料100ドルでよかったのが、
他の低所得者のために毎月300ドルになります、
って言われたら、
やっぱり、払いたくても払えないのよね。
自分の生活があるから…。」
いろいもう少し聞きたかったけど、
お昼のプログラムが始まってしまったので中断。
お昼は、昨年がんばったCILリーダーの表彰式。
日本にIL運動を伝え、CILを広めた功績を称えられ、
日本の中西正司さんが、特別賞を受賞。
その名も、マックス・スタークロフ賞!
わー!さっきの人ー!!
残念ながら、中西さんは体調不良で、
一緒にアメリカに来ることができなかったため、
我らがDPI JAPANの事務局長、佐藤さんが代理で受け取り。
「私たちは、アメリカから自立生活運動の理念をもらい、
今、それをアジアや中米に伝え、広げ、
支援する活動を行っています。
来年は、またワシントンに戻ってきて、
全世界のCILで集まって、ILサミットをやりたいです!」
と挨拶。
午後は、ちょっと空き時間があったので、
数人の日本メンバーと一緒にWhitehouse見学へ。
暑いー…。
1990年7月26日、このWhitehouseの南の庭で、
ADA調印式が行われたのだ!
はぁー…ここかー……。
全米の障害者が、障害者としての庇護ではなく、
市民としての公民権を手に入れた、その瞬間の熱気が、
ここに溢れていたんだなぁ…。
へぇー……。ここでねぇ……。
ところで、Whitehouseって、大統領家族以外に、
誰が住んでるの??
お手伝いさんとか、料理人とかが住んでるの?
広すぎて、お掃除とか、庭の手入れとか、大変すぎじゃない??
(↑↑↑どうでもいい。邪念↑↑↑)
夕方、また会場に戻り、ユース交流会。
なんか、ホテルの斜め向かいのお店で、
一緒に飲んだり食べたりしましょう、ということに。
人数多すぎ、
ぎゅーぎゅーすぎて、何が何だか分からない…。
どうにかこうにか席について、隣にいたのは、
ノースカロライナから参加しているというクリスティーナ。
ぱっと見、障害が分からない。
なんの障害?
「てんかんよ。6歳の時に初めて発作を起こしたの。
薬を飲んでいるから、もう4〜5年、
大きな発作は起こしてないけど。」
てんかんの人がCILで障害当事者運動に参加してるって、
あんまり日本ではないかも。
「なんで!?」
さぁ…。
あんまり、てんかんを「障害者」として考えてないかなぁ?
「うそでしょ?
発作は差別を受けるし、記憶が一部欠落したり、
いろいろ困ることもあるのに!」
ほんとに、てんかんの当事者でCIL活動やってる人って、
日本にはほとんどいない。
アメリカって、障害のとらえ方が広いなぁ。
そして、自らを障害者として認識、受容し、
当事者として活動できる人も多いんだなぁ、
と、しみじみ実感。
と、そこへ、なんとヨシコ•ダートさんが!
「ヒロミさん、どう?楽しんでいますか?
アメリカは、どうですか?」
今回の渡米について、飛行機が大変だったこと、
アメリカでは呼吸器ユーザーになかなか出会えないこと、
アメリカがCRPD(障害者権利条約)を批准しないこと、
地域での啓発と政界への働きかけのこと、
いろいろお話できました。
私が、どうも議員へのロビーイング関係は苦手だというと、
ヨシコさんも、
「ジャスティンは、得意だったし、好きだったみたいだけど、
私も政治関係へは苦手なのよ!」と笑い、
政治家への働きかけのポイントは、議員に直接、だけではなく、
議員についているスタッフとの信頼関係を作ることだ、
と、教えてくれました!
そして、障害者が、票をしっかり握ること。
CILとしての政治活動はやらなくても、
個人としてはしっかりやっていくことが大切、と。
なるほど…そういう使い分けが、もっと必要なんだなぁ、
と勉強になりました。
その後、NCILのclosing ceremony。
最後はダンスパーティ。
夜遅くホテルに戻り、
希望者のみで振り返りの時間を持ち、
1時過ぎに就寝。
盛り沢山すぎる1日。

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