不老不死、時間におどろく
女はいたく衝撃を受けて鏡を見た。目元にシワができた。いつの間にか、鼻の下にハの字の線までできている。不老不死だった人魚姫にしてみると、はじめて知る、老いるという生命の縛りであった。
ほうれい線を指でなぞり、人魚姫だった女は食い入るように鏡を虚ろに見つめる。見続けた。恋い焦がれた王子様が海のともだちの協力のもと、自分に振り向いてくれた。王子様と結婚して結ばれた。そんな奇跡からもう10年がすぎて、人間なのだからこれからは老いる運命が待っている。
けれど、人魚姫には心外な心境であった。
シワが。顔がくずれるかのような。お面が如き美貌がしわくちゃとして。なんで顔が変わり体型が変わり人間って老けてゆくの?
人魚姫ははじめて後悔した。
人間になったことを、後悔した。
王妃の寝室にて、手鏡を両手に握りながら、人魚姫は胸がスースーした。足もとが冷え、体温がさがる。人魚姫であったころ、感じなかったはずの恐怖がここに至って襲ってきた。
「おかしいと思ってた……。人間って、ちいさすぎるヒトも、シワシワのヒトも、オスメスだけじゃない色んな種類が居たから……」
これが、人間ということか。人魚姫は学ぶ。時間が決まっている人間たち。不老不死を捨てた自分に待ち受けている運命。老化だ。
ふと頬が濡れて、涙している女を発見した。人魚姫を捨てた王妃は、感じたこともない恐れと感動を同時にあじわってシクシクと目尻と胸を疼かせた。ああ、なんてこと、なんてかよわい生き物なの。
「……時間といっしょに生きられるなんて、ヒトって見た目よりもずっと強い生き物だったのね……」
人魚姫は恐怖しながら敗北感を噛みしめる。歳を取る。それってこんなに恐ろしいのね!
心の中でだけ女は念じた。知らなかったわ。ああ今なら、そうね、王子を刺殺せば人魚姫に戻してあげるって誘惑されたら、私、ノッてしまうわね。
時間といっしょに生きる、その怖さにただ震えて、幼い子どもが涙するように女はしばらく涙を流した。人間になるって想像したよりずっと難しいのね。これからもっともっと、むずかしくなるのね。
「いや、だわ、怖いわ……」
あるいは、ヒトの身でありながら人生と時間を否定する魔女とは、このようにして発生するのかもしれない。翌日から侍女や文官に調べさせて、女はあらゆる美容法を探し始めることになる。
道を踏み外す、第一歩だった。
ああ、せっかく王子様と結ばれたのにね。所詮は人魚姫の恋、海の泡のような恋。時間という魔物と戦うなんて不老不死だったモノにはつらい話なのだった。
女はやがて若い女の血で湯浴みするようになり、吸血鬼と噂される。吸血鬼カーミラと呼ばれる魔女はこうして生まれた。
END.
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