破滅返歌の歌姫による短小な脳の話を

忘れがちだが、個体差がある。人間にも。猫の性格がおなじ品種でも個々に差があり異なること、植物の生育も個体ごとに違いがあって放っておいても元気よく育つ種も育たない種もいる。

人間はしかし、当事者になると忘れがち。

自分たちも科学の盤上における実験物であることを。

星という星図に則ってしか生きられず、管理している筈の家畜や栽培品種と同様の運命を持っている、これらと共同体である事実を。

驕り、かんちがい、そうするのはやはり人間のアタマが大きく育ちすぎたかしら。イルカは人間よりも脳が大きいというけれど、たしかに賢くて偉大な生きものであるイルカだけれど、野生の彼らのイジメなんかは人間には想像できないほどエゲつない。人間以上に育った脳に比例して、きちんと、相応の邪悪さを秘めている海洋頭脳の生きものである。女性ダイバーがイルカに侵されることだって事実としてあるわけで、イルカも人間くらいには穢れた生き方を躊躇わない。

一方、ワカメみたいな人魚姫たちは、その美しさと姫と呼ばれるほどの穏便なたおやかな海の宝石姫たちである。

しかし、彼女たちの脳は空洞にちかく、知能はほぼ無いといって差し支えない。
植物よりかは反応をするが、虫よりも少し大人しい程度の脳反応であった。星は残酷? 運命は残酷? そんなバカな。

永遠の不死なる美女たちだ。
地球における、おおつぶの命。たとえば植物がそうだ。不老不死に知能など不要。脳と知能があったなら悠久の何億年など生きていられない。

人魚姫は、ときおり唄う。破滅の歌とされる。
人間には理解ができず、セイレーンと名付けられて、人魚姫とは明確に区分けされ、別種の人魚と分類した。が。

破滅をいざなう彼女らは、たんに命の数時間後を予見しているだけだった。
地球とともに生きる人魚姫には知能も脳みそもないけれど、だからこそ解ることもある。

人間も、イルカも、短いサイクルの存在であること。脳のおおきさが証明している。

たまに、気まぐれで哀れんで、人魚姫は唄うのである。

ああ、可哀想な短小の生命! かわいそうだから唄声を聞かせてあげる。明日は来なくしてあげる。今すぐ終わらせてあげる。

セイレーンが、ふと思い出したよう、人間やイルカやクジラに返歌をよこす。かわいそうだから。だ。


END.

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