10日は遠すぎるゆえに判る

10日間と言われてもピンとこなかった。が、体験してみると、10日間は遠かった。

まず、馴染んでしまう。
立ち寄ったはずなのに顔を覚えられてくる。今日はどこにいくのなんて会話を交わすようになる。行きつけの店がひょんと出来上がる。

ホテルマンにしてもそうだ。掃除係の顔ぶれを覚えてくるし、挨拶はフランクになってくるし、態度も、こなれたものになる。ぞんざいになる、言い方は悪いが、しかし居心地のよさを感じる、ちょうどいい感じの距離感になってくる。

10日間の旅なんて長すぎる。飽きるよ。

出立前はそう言われたが、人間の面白さはカガミに反射する自分の七色ぶりを見るかのようで、毎日、新しいものを知れた。
長期滞在もよいものだ。

10日目、自宅に帰るための荷造りをしながら、私はここで働きたいとふと思った。実家に戻っても仕事を見つけ直すところからだ。

ホテルの掲示にアルバイト募集の貼り紙があったではないか。
10日間はながすぎた。私に、実家での居所のなさ、肩身の狭さ、息苦しさを思い知らしめた。私は実家の家族に縛られていたのだ。依存に近いような距離感で首輪をつけられていた。10日間の他人のあたたかさが、骨身に染みて、私は首輪のない自由に触れたのだ。

少し、考えてみる。
窓の外、10日間しか知らない街並みを見る。

しかし、けれどもう。心は決まっている。遠すぎたのだ。我が家のはずの、家族たちとの、心の距離が……。


END.

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