復讐×人魚

お う じ さ ま

わ た し の こ と

い も う と み た い と

い い ま し た ね

言葉がしゃべれず、そもそも言語もよくわかっていなかった女が、本を指差しながら王子に話しかける。

白磁の艶肌に麗しき豊かな長髪。青い瞳。ふっくらと厚みがある唇のピンク色は、乳房のような生々しくも華やかな官能を秘めている。王子は、海辺にて行き倒れていたという、この美しい少女を気に入った。言葉がわからずとも、声が出ずとも、少女の完璧な姿があれば社交場に可憐な花が咲いたものだから。

少女は裸でそのへんに打ち捨てられたが、阿呆だから捨てられたわけではなかったようだな。城の皆が理解するころ、彼女は本の文字を指差すことで意思を語るようになる。王子は、これにはあまり関心を示さなかった。美しさとは無縁で、少々面倒であったから。

だが、婚姻を明日に控えた夜、明け方に忍び込んできた全裸の彼女の姿には、胸を打たれた。王子は火遊びはきらいではない。彼女は美しく、この世のものとは思えない、傷ひとつない絹の素肌を惜しげもなく見せた。ただ、片脇に古書を携えていた。少女は完璧な微笑みを浮かべて、浅くなって遠のいた月明かりの下で、王子のベッドの前に立ちながら指で文字を追いかけた。

す き で す。

ど う か

「いいとも」

王子様は晴れやかに微笑んだ。しかし美少女も美貌を綻ばせる。執拗に、文字を読ませようとする。王子はやがて吃驚して目を呆れさせた。

やはり、阿呆だから捨てられた女だったのか?

少女は、美しく笑いながら、王子の寝室の奥にあるバスタブへと顔を向けている。白い指先とピンク色のツメ先は確かにこう指した。

ゆ あ み を

さ せ て く だ さ い

「夜が明ける。君を抱きたいんだが?」

焦れた王子様がついに率直に物申した。海辺で拾われてきた少女は、にこやかに、首を左右にふりたてる。少女はなんせ美しい。王子はしばし考えて、鐘を鳴らした。侍従を呼ぶ、ごくちいさなベル。若い従者は裸の美少女が王子のベッドの前に立っているのを見て、駆けつけるなり事情を理解した。

風呂の用意をする。湯を沸かし、すでに用意してある冷めた湯と混ぜて加減を調整する。一刻ほどの準備を整えるうちに、最初の朝日がじわと王子の寝室に射し込んだ。準備の時間、王子は好き勝手に少女をなでては今までの恋慕のほどを尋ねるなどした。少女は、微笑むだけ、本は開かなかった。

従者は風呂ができたことを告げて、ドアから出て行った。侍従の定位置はドアの外だ。

王子にいたずらに触られる少女は、本を開いた。朝日が淡いピンク色を室内に注ごうとしていた。

み て い て く だ さ い

お う じ さ ま !

「いいとも」

風変わりな儀式だ、王子は思うが少女に従った。

少女は笑って古書を閉じて床に置いた。

作りたての風呂に、ほかほかした湯気をたてるバスタブに、足の先をくぐらせた。とうに全裸であるから抵抗ひとつなく全身は湯に漬けられた。少女は頭まで湯に潜って、それから肩甲骨を張り出して身を起こし、王子をふり向いた。

朝日がのぼる。暁光が高窓から寝室へと帳をおろす。少女は美しくそれはもう美しく笑う。けれども、ぐんなゃりふんぐゃりぶなりゅん、と、蜜が溶けるように顔貌が崩壊した。風呂の湯に向けて少女がぺっちゃんこになっていき、溶けていく。ぐなぐなぐなぁ。

王子の絶叫で城の誰もが目を覚ました。王子の栄えある結婚式は、こうして、最悪の朝とともに始まった。

少女はもう湯に混ざって溶けてほどけて目も髪もバラバラで艶肌もパーツごとに湯に浮かんで、泡ボコを立てながら消えた。かつては人魚姫と呼ばれた、海いちばんとうたわれた器量良しの人魚はそうして、死んだ。

最後に、自分の初恋に復讐を遂げてから。



END.

読んでいただきありがとうございます。練習の励みにしてます。