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⑱進路、現実編


私は看護の道を一旦諦めた。
就職した後、大人になってからでも
まだやりたい思いがあったり、タイミングがあればチャレンジできる!と自分自身の気持ちを切り替えて次を考えた。


次は、、公務員!役所の職員を希望した。
理由はまず安定している点、あと自分自身役所にはだいぶお世話になってきてたので、またその裏側だったり、役所側の立場になった時の人との関わりでなにか役立てる事があるのではないかと思っていた部分もあった。

公務員の選択が1ミリもなく過ごしてきたので、なんの知識もなかったため、高校3年生の夏休みは「本気になったら〇〇!」で有名な学校で公務員試験に向けての夏期コースに参加して勉強した。

この夏期講習のお金は児童養護施設が支払ってくれた。施設の園長や職員をはじめ色んな人と話し合い、理解をしてくれてサポートしてくれる事になった。凄くありがたかったし今でも感謝しています。

しかし、期待に応えられず全落ち

もっと頑張れたという自覚があるからこそ
本当に周りに申し訳なかった。
当時若さがあったのも事実で、大丈夫でしょと思ってた部分もどこかであって、全力を注ぎきれなかった反省は今もある。
自分の学力の無さを軽んじていた、、


あっさりひと夏で希望も消え、
高校卒業、児童養護施設卒園まで
あと半年をきっていた。


残っていたのは、就職案
通っていた高校にきていた求人の中から
寮付きが条件で全国各地から選んだ
アルバイトも飲食の接客業だったため、

隣県の旅館を選んだ。

1人で踊り子やバスに乗り、
現地に泊まり込みで面接に行った時の事は
今でもよく覚えている
今まで1人で一泊もなければ、こんな長距離旅もしたことがなかった。

緊張と不安でガチガチだったが、
筆記、面接をなんとかこなし、寮をみたり、
近隣のおすすめスポットも案内してもらったり、

なんと言っても一泊旅館に泊まり込みでの面接だったので、実際に自分が接客されてこんな風にやるんだなーとイメージもついたから凄くいい体験だった。


数日後、無事採用の電話がきた。


筆記試験は残念な感じでしたが、
人柄で採用していただいたようです
いやー色々ありましたがひと安心です
住む場所、仕事どちらも決まりました!


そして3月!
無事高校を卒業して、
児童養護施設の卒園式も終わり、

みんなに見送られこれから新生活!の矢先、、、


3.11、東日本大震災

施設ももちろん揺れた
震度5くらいだっただろうか
停電したりして施設内もバタバタ
当時私はたまたま外にいたが施設の近くだったため、帰宅難民は避けられたが首都圏もパニック。



就職に影響も、、、あった。
4月入社ではなくなった
観光客も激減し、新入社員は待ったがかかった


最初はいつまで延びるとかも言われずに
これからどうなるのか、、
この話が無しになってしまうかもしれない、
また一から仕事を探さないといけないかもしれない、、
施設を追い出されてしまうんだろうか、、


同じ施設の同級生が続々と施設を出て行く中
私は待つことしかできず不安な日々が続いた


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