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⑲児童養護施設での6年間


中学1年生〜高校3年生まで、
児童養護施設で生活しました。

(良かったら①〜順番に読んでいただけると嬉しいです
🌷)

血のつながりのない大人と子どもで
大家族ごっこの様な毎日



私はひとりっ子だったので
帰れば年上から年下までの子がいて、
先生はもちろん大人だけど親子ほど歳も離れてなくて親近感もあった。

2人の先生に対して10人の子ども
今日あった事とかをすごく話したいのに
みんなが先生の取り合いで、私は自分より小さい子に遠慮してなかなか話すタイミングがなくモヤモヤが続いたり、、
色んな面で、兄弟がいたらこういう感じなんだろうな〜と思った。


小さい子の面倒をみたり、洗濯・掃除・食事の手伝いもするし、規則正しい1日の生活スタイルで1日の流れは普通の家庭とたいして変わらないと思う。

施設の行事もたくさんあった。
色んな招待もあって、体験できるイベントや施設対抗の野球、ソフトボール大会とか、色んな習い事みたいな教室だったりがたくさんあった。

私が6年間位で参加したのは、、数少ない
そのためエピソードが全然ない。

毎年小学生だけだったけど、ディズニーランドの招待もあった。(私が初めてディズニーランドに行ったのは高校1年生の時、、我が子もまだ一度しか行ったことがない、、うん、考えさせられる、、)

フェリーで花火を見るイベントの招待もあったな〜


全員参加のイベントも多々ある
毎年、夏祭り・クリスマス会・卒園式


クリスチャン系の施設だったので毎週一回、
施設の体育館(ホール)で礼拝


誰と一緒に夏祭り回るとか、
なんか色々いざこざがあったなー


まぁ自分を主張するのが苦手だった私は
大家族の様な生活に、気は使い倒した

あの子は大丈夫だと判断されて周りの人には気に留めてもらえず、でももちろんそんな事はなく悩みの塊、、
溜め込んでいた全部が爆発して自暴自棄になってあたりからは、心理さんが自分の為に週に1回、1時間くらいだったか話す時間を作ってくれたていた。その時間だけは自分だけの話を聞いてくれて
相談に乗ってもらったり、とてもリフレッシュできる時間だったなー


さまざまな状況の子が児童養護施設にいる
もちろん警察沙汰になるような荒れてる子もいたり、接しづらい子もたくさんいた。
自分はそういうタイプじゃなかったので、生活しづらい部分もあったし嫌な思いもたくさんした。


こういう所で共同生活をしてなかったら関わることのないような色んな人との触れ合いがあり、早いうちから学校以外の縦社会の様な環境で生活したことで色んな人がいるんだな〜って人間関係はすごく勉強になったし鍛えられた。
良い経験になったと振り返れば思う。

施設には色んな場所から色んな寄付がひっきりなしに届いていた。ありがたい。
鉛筆、ノートもパッと言えばその都度もらえるし、学校で必要な物は買ってもらえる。
海外だった修学旅行もいけた。

お菓子ももらえるし、塾には通いに行けないけど(今はどうなってるかわからないですが)、うちの施設では小学生は施設で公文ができて、中学、高校生の多くは一人一人専属の学習のボランティアさんがいて、マンツーマンで勉強を教えてもらえたりもした。元教員の人だったり、教員になりたい大学生とか、教えてもらう側からしたら家庭教師みたいで嬉しかった。


私も6年間ずっと教えてもらっていた。
学習ボランティアさんとの勉強の時間だけど、
雑談をしたり、時には悩み相談をしたり、、
週に一回のとても貴重な時間でした。
凄くありがたいし贅沢な話です。

施設を早く出たいと思っていたけど、
いざ出たら心細かったなー

楽しい思い出ばかりがよみがえり、、

みんなが家に一時帰宅して人数が少ない土曜日の夜とかに先生が運転してみんなでドライブをしたりしたりするのが私の中で結構楽しみで、
各々が聞きたいCDを持っていって車内で聞いたり、途中でアイスを買ってもらったり、夜の公園を散策したり、、

先生と子どもで(10人位だったかな)
街を歩いていて、

めっちゃ大家族じゃん

と通りすがりの人に言われて
みんなで笑ったり、、


良い思い出ばかりじゃないのになー
不思議ですね

長い時間大人数に囲まれてただけに
いきなり家に帰ったら1人の生活は
慣れるまでしんどかったなー

自分が家庭を持った今、生活環境、暮らしだけでいったら一般家庭並み、生活面においては児童養護施設は十分に保証されていたと思います。
親と四六時中一緒にはいられない共同生活ではあるけれど、不自由なことはなく生活できる環境ではあったと思う。
私の場合、親元で暮らしていたら時よりは断然いい暮らしをさせてもらえた。
生活面だったら現在の我が家よりも、、



児童養護施設で青春時代の6年間を過ごして、とてもじゃないけどnoteには書けない話も山ほどある。死にたいなんてほぼ毎日考えてる日々もあったし、人間や携帯に依存したり、行き詰まってリストカットに手を出す日々ももちろんあった。


施設内でリストカットをする子は何人かいて別に珍しいことじゃ無かったからか、跡が残るよーとかサラッと流す先生もいた。
この時はさすがにちょっと傷ついたな、、
本当に命を落とす子もいますよー


もちろん心配してくれる先生もいた
自分傷つけるくらいだったらこれちぎりなさいと言われて、新聞紙を渡された事があった
あの日は自分の部屋で夜通し泣きながらその新聞紙をちぎって、朝起きたら見たことないくらいの新聞紙の中にバタっと埋まって寝ていた


当時から私も所詮先生って仕事なわけだし、、
ってどこか割り切って生活していたつもりだけどやはりどうこういっても寂しかった。


一人一人に時間を割いて話を聞いたりしたいけどやはり10人の子どもに先生2人体制、先生が1人の日もある中で難しい、寄り添ってあげたいんだけども、、って卒園してから先生も言ってた。
そりゃそうだよねって言ったし当時から物理的にも難しいってわかってはいたけど、子ども側からしたらやっぱりそりゃそうだよなって先生に気を遣って生活するのはどうなんだろうなー

みんなそれぞれ辛い思いで施設にたどり着いて、
その距離感かー悲しい。



先生以外の人のサポートがもっといるよなー
卒園した子のサポートもいるよなー
さすがに今いる子も、卒園した子も全員サポートしてたらキリないし先生もパンクするわなー
先生だって自分の生活もあるし



私は自分と同じように卒園した子や、身寄りのない子にスポットをあててずっと考えている。
頑張りたいのに頑張れる場所がない。
ホームレスになるくらい、死を選択せざる得ないような厳しい環境下にいる子は一体どのくらいいるのだろうか、、



いっろいろありましたが、まとめ🌷
私は天涯孤独にはなったけどホームレスにならず、ちゃんと保護してもらって児童養護施設で人間としての生活を保証してもらえた事は感謝の気持ちでいっぱいです。

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