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猫を愛する人に捧げる2つの話:その1

(タイトルで謳っている通りの内容で、猫を好まない方への配慮はいっさいありませんが、どうぞあしからず)


あらためて書くまでもないが、ペットとして愛される猫の数は、2017年以来犬を上回っている。
しかし、これは猫の人気がブレイクしたからではない。
ペットとして飼われる犬が年々減少しているのに対して、猫の数は横ばいだからなのだ。
これはつまり、猫はずっとずっと前から、今ほどに熱烈に人から愛され続けていたことの証明に他ならない。(と、わたしは思っている)

かく言う自分は、訳あって猫を飼えない者なので、よその猫にちょっかいを出して無責任な愛をあたためている。

ペットショップで売られている幼猫。
保護猫の譲渡会でお見合い成功した猫。
空き地で拾った仔猫。
近所の猫が産んだ赤ちゃん猫。
引っ越すからお願いされた猫。

猫と人との出会いは人生のひとコマだ。
そして、その出会いを繋ぐために、必死になっている人たちもいる。
私財を投げうって保護猫活動をする方々がいることや、それが認知され支援が少しずつ広がっている様子は、ほんとうに有り難いニュースだ。



人間の側のわがままかもしれないが、
ちいさい猫の寿命は人間よりも短くて、あの子たちはあとからやって来たのに先に去っていく。
わかっていても辛すぎる。

せめて考える。
猫は、自分と一緒で幸せだったのだろうかと。


これからご紹介する2つのお話は、猫と人を繋ぐ愛を記録するもので、わたしが体験した真実の物語です。


episode1 大林家(仮)最後の猫・みこちゃんの話

40年前、わたしが初めて大林家を訪れた時には、おじいさんとおばあさんが2人で暮らしていた。子どもは無かった。
古い造りの家で、庭が広く、おじいさんは盆栽を育て、おばあさんは猫をかわいがって暮らしていた。
その当時には、猫が6匹と犬が2匹、元気に自由に飼われていた。
「これまでにも、ノラや近所のはぐれ猫をたくさん飼ったから、庭のそこいらを掘れば猫の骨がいっぱい出てくるぞ!」
おじいさんはそう言って、イタズラっぽく笑っていた。

歳月とともに、お2人とも高齢になり、持病があったおばあさんが先に亡くなった。
猫はまだ4匹いたから、おじいさんは耐えられた。

やがておじいさんは、ヘルパーさんを利用するようになり、家の中は整って食事もマシな物を食べれるように、生活改善された。
本当はいけないのだが、決まりを破って猫に餌をあげてくれるヘルパーさんが、ひとりいた。
おじいさんにとってはこれが救いで、80歳半ばを過ぎてからというもの、
猫缶を開けたり、洗ったりするのがしんどくなっていた。

ある時、おじいさんが肺炎を起こして救急車で運ばれ、そのまま入院してしまった。
病院のベッドで高熱にうなされ、苦しい呼吸に喘ぎながら、おじいさんは家に置き去りになっている猫たちのことを思い、ひたすら生きててくれよと祈っていた。何としても猫たちのために家に帰らねばと、闘った。

辛うじて退院でき、家に帰ったおじいさんは、そこに元気いっぱいの4匹の猫を見て、どんなにか嬉しかったことだろう。
おじいさんが入院中、くだんのヘルパーさんが毎日餌をあげに通ってくれていたのだった。
喜ぶおじいさんにむかって、そのヘルパーさんは、「わたしは猫が大好きなのだけど、団地住まいで飼えないのです」と告白した。
そばにいた猫たちがそれを聞いて、目を細めて笑った。(かのように見えた)

ヘルパーのサツキさんは、それからもますます熱心に、おじいさんの猫たちをお世話し続けてくれた。
自分の担当の日でなくとも、猫のために寄ってくれるようになった。
ポケットマネーで、おいしいオヤツやら、よさそうなノミ取りブラシも買って来てくれた。

けれども、猫たちはサツキさんに懐かなかった。
おじいさんの猫は、どれも人見知りが激しく、おじいさん以外の人の前では餌も食べなかった。
かく言うわたしにも、一瞬たりとも触れさせてくれたことはなかった。

その代わりに、おじいさんにはべったりで、夜になると4匹の猫たちは布団の中に潜り込んできて、1匹はおじいさんの腹の上、もう1匹はおじいさんの左脇腹、別の1匹は右脇腹、残りの1匹はおじいさんの顔の横にくっついて、朝まで動かなかった。おじいさんは寝返りも打たずにいつも我慢した。
おばあさんはいないけど、それはそれは、最高に幸せな夜だった。

その後も、おじいさんは何度か肺炎で入院して、そのたびにヘルパーのサツキさんが猫の餌やりに通い続けた。
サツキさんの姿を見つけると、猫たちは相変わらず逃げ回っていた。

そうこうするうちに、歳をとった猫から順に死んで行き、最後にはみこちゃん1匹だけが残った。
淋しくなったけれども、おじいさんは、「みこちゃん。おまえが居る限り俺は死ねない。2人で最後まで、いっしょに頑張ろうな」と言って、みこちゃんの背中が光るほど、何度も何度も撫でていた。みこちゃんは、おじいさんにはされるがままだった。
けれども、おじいさんは春先におこした肺炎が悪化して、入院した先の病院でとうとう亡くなった。

大林家の人は絶えて、家は固く閉ざされ空き家になってしまった。
おじいさんの遠縁のひとが、時々やって来て、夏草を刈ったりしていた。

のどかな大林家の庭先で、みこちゃんは1匹で生きていた。
我が家には出入りできなくなってしまったが、もともと自由な飼い猫だったから、外の暮らしにさほど苦労は無かった。
なによりも、サツキさんが毎日ごはんを持って来てくれる。

おじいさんのお葬式が終わって、ヘルパーの契約が解除されてからも、サツキさんは迷わずみこちゃんのために大林家へ通った。
かく言うわたしも、サツキさんと交代で通った。
みこちゃんの姿はどこにも無かったが、「猫は家につく」と言うくらいだから、そう簡単に遠くへ行ってしまったりはしないだろうと信じていた。
毎日出して置くカリカリは、翌日には必ずなくなっていた。
そこいらのノラが食べたのかも知れないが、サツキさんはまたカリカリを足して祈った。

「みこちゃん、食べに来て」

なん日、経ったかわからない。
サツキさんが、ある日お茶碗にカリカリを入れていると、何となくうしろの方で気配を感じた。
ふり返ると、おじいさんの家のすみっこの所から、みこちゃんが顔だけ出してこちらを見ていた。やさぐれて、尖がった目だった。

(!!)
サツキさんと目が合うと、みこちゃんは一瞬で姿を消してしまった。

何か月が経った頃からか。
サツキさんがカリカリを出していると、その音を聞きつけて、みこちゃんが出て来てくれるようになった。
決して近づいてはくれないが、離れたところからちゃんと見ている。
怪我や病気をしていないだろうか。
どんな所をねぐらにしているのだろう。
心配は尽きないが、みこちゃんはふっくらと太って元気そうに見えた。
おじいさんがゴミ焼きに使っていた古いかまどがお気に入りなのか、みこちゃんはいつも灰だらけだった。

1年半が経つ頃には、サツキさんの自転車の音を聞きつけて、みこちゃんが庭木の陰からとびだして来るようになった。
おじいさんがいなくなって、みこちゃんも本当は淋しかったのだろう。
サツキさんの横に座ってカリカリを待つようになった。
そして、サツキさんが帰る時には、表通りの方までくっついて、追ってくるほどになっていた。

「みこちゃん、ダメだよ。こんなとこまで出てきたら、車にはねられちゃうよ。おかえり。」


ある日の午前中、突然サツキさんから電話があった。
電話のむこうでサツキさんは悲鳴のような声を出している。
「みこちゃんが! みこちゃんが‥‥!」
わたしは大急ぎで、車でおじいさんの家に向かった。

サツキさんに抱えられたみこちゃんは、ぐったりして目を閉じていた。
片方の後ろ脚が、傷ついてもうぶらぶらになっていた。
流れた血はすでに乾いていた。

そのままみこちゃんを、近所の動物病院に運び込んだ。
大怪我して灰だらけのみこちゃんを診察した獣医師は「10万円かかりますけど、どうします?」と尋ねてきた。
サツキさんとわたしは即答していた。
「お願いします!」

しかしその10万円は、ノラに近いふぜいのみこちゃんを治療しても始まらないから諦めさせようとしたのか、ただの吹っ掛けだったのか。
急に狼狽した獣医師は「うちでは手に負えないから他に行ってください」と言って引っ込んでしまった。

息も絶えだえのみこちゃんを抱えて、サツキさんとわたしは「少し遠いけれど評判のいいK動物病院があったよね」と、意見が一致していた。
車を30分ほど走らせて、みこちゃんをそっちに運び込んだ。

K獣医師は、慎重にみこちゃんの診察をしながら、怪我の状態の深刻さはもとより、灰で汚れた体の全体にも目を配っていた。
「この猫の飼い主はどなたですか?」
それに対して、みこちゃんの飼い主は亡くなって、今はお宅の庭先周辺で半ノラのように暮らしており、餌だけ与えにわたし達が通っている状態だと伝えた。うちで引き取れればいいのだけれど、飼えない事情があることも話した。
それを聞いたK獣医師が、呆れたのか驚いたのか複雑な表情で言った。
「大きな手術を受けさせる事になるでしょう。治療は、やれると思いますが、その後にちゃんとお世話してあげないと、残念なことになりますよ。少なくとも暖かい寝床で休ませないと。」

みこちゃんの寝床は、おじいさんのかまどの中。
折も折、いまは真冬の2月だった。

サツキさんもわたしも、心底困った。
うちに連れてきて面倒をみたいと、どれほど逡巡しただろうか。

みこちゃんの片方の後ろ脚は、大腿骨のつけ根のあたりからグッシャリと潰れるように折れてしまっていた。
おそらく交通事故ではないかとK獣医師は言った。
それを聞いてサツキさんは、両手で顔を覆って泣いていた。

あんなに人見知りだったみこちゃんが、あとを追ってくれるなんて‥‥
あの喜びが一瞬で悔恨に変わった。

みこちゃんの命を救うためには、痛めたその足を切断しますと、K獣医師は断言した。そのためには、高度な動物医療を行っている病院にお願いする。
入院期間は2~3週間。治療費はおおむね15万円ほど用意すればいい。
お金はサツキさんとわたしで割り勘だ。はじめから決めている。
とにかく急いでやってもらおう。

意気込むわたし達のことを、静かな目線で見る人がいた。
動物病院で助手をしている佐久間さん(仮)だった。
さっきまで、みこちゃんの傷を洗ったり、体の汚れを拭いてくれたりしていた、優しそうな若い女性だ。
ふいにこちらに近づいて来て、言葉を掛けられた。
「みこちゃんは、退院したらお外のかまどの中で寝かせるのですか?」
咄嗟のことに、はいとしか答えられなかった。
「あの子、わたしがもらう訳にはいきませんか?」

はぁ?!

これから大手術受けて、片足なくなっちゃって、介護に世話がかかって、お金もかかって、そもそも人見知りの激しい、みこちゃんを貰うってぇ??

わたし達にそれを断る理由は皆無だった。
佐久間さんは動物病院で働いているくらいだから、猫も大事にしてくれそうだ。少なくとも、お部屋の中で飼ってもらえる。
あれよという間に、もうその場で、みこちゃんは佐久間さんの猫になることに即決してしまった。
どうやらK獣医師にも事前に話が通されていたらしく、K獣医師はみこちゃんのところに来て「おうちが決まってよかったねぇ~」などと、本物の笑顔で言った。

そこから先は、何もかもがあっという間だった。
佐久間さんは「みこちゃんはもうわたしの猫だから、手術代はわたしが払います。関係者なので安くしてもらいます!」。
バタバタとみこちゃんを運び込んだK動物病院で佐久間さんにみこちゃんを託した、あの日がわたし達にとって、みこちゃんとの最後に日になった。

佐久間さんとは、連絡をとるためにLINEを交換していた。
お宅には先住猫が2匹いて、みこちゃんが安心して療養できるように専用ケージが置かれた。
日々、LINEで送られてくる写真や動画で、みこちゃんが生きていることを伝えてもらった。怪我と闘うみこちゃんが痛々しくもあった。
やがてなんと、3本足でじょうずに立っている写真がきた!
やった、みこちゃん、えらいじゃないか、3本足で立派に生きているんだね!

他の2匹とも仲良くしてもらって、佐久間さんにたっぶり愛情を注いでもらって、みこちゃんはしまいに顔つきまで変わってしまった。
やさげぐれて尖がった目をしていたみこちゃんが、くりくり真ん丸のご機嫌な顔になっていた。
器用に3本足で跳ね回る、他の猫といっしょにオモチャを獲り合う、まるで仔猫のようにはしゃぐ‥‥、わたし達の知らないみこちゃんがそこにいた。

おじいさんが生きてた時はたくさん可愛がってもらったろうけど、ノラも悪くなかっただろうけど、大怪我して死にそうになったけど、今のみこちゃんは、全生涯でいちばん幸せに生きていた。
苦労したね、みこちゃん! よかったね、みこちゃん!

「みこちゃんが死んだら、なきがらを引き取って、大林家の代々の猫といっしょに埋葬します」
それが佐久間さんとの、最初からの約束だった。

しかしみこちゃんが死んだとき、佐久間さんはそれを手離せず、火葬にして壺に納め、そのぬくもりが冷めるまでずっと両腕に抱いていた。
骨壺は、現在も佐久間さんの部屋にある。


                                                                             photo byネコ坊主さん

°✧°✧ 長い話を最後までお読みくださり、ありがとうございます °✧°✧



かくも人の心の優しさ温かさを導き出す猫とは何者なのか

episode2では、こちらも代々の猫を愛した森本家(仮)最後の猫、たまちゃんのお話が続きます。


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