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雑記 憧れは理解から最も遠い感情

みなさんには「憧れの人」はいますか?

私にはいます。
前職で知り合った多くのかっこいい大人たち。
自分の仕事に真摯で、妥協しない。
謙虚だけど、遠慮はしない。遠慮はしないけど配慮はする。
そして何より「プロ」である。
問いの立て方を知って実践している。
自分の武器を駆使して切り開く方法を知っている。そして実践している。

男女問わず、そういう大人にはすっごく憧れます。
自分も10年後にはそうなっていたい。

でも、そうなっていたいと憧れだけでそうなれることは
断じてないことは知っています。

憧れは、理解から最も遠い感情。

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昔スーパーハマったBLEACHの私的名シーンです。
(2次元ミュージカルも行きまくりましたよね…ギン演じるトゥッティが大好きでした…ああもう一度見たいし何なら一緒に歌いたい…)

憧れと理解の間にはかなりの溝がある。

それは本当に最近そう思います。

だいたい人が「憧れ」を持つのは
その人の「かっちょいいところ」「美しいところ」「その後ろ姿」などの
自分の目に見えるところを信じる瞬間なんだと思うんですよ。

氷山の一角という話で、目に見えるのは氷山のほんの一部であり
その下部は見えないけど、そこが最も大きい体積を持つという話があります。

人というものも、きっとそうなんだと思うんですよ。
一部しか見えていないのに、そこに憧れて真似したりしても
多分憧れに近づくには遠い気がする。

じゃあどうやって理解すればいいのか。

それは話すことしかないんだろうなあと思います。

特に苦労した話や失敗話など。
そこからどう乗り越えたか、どう踏ん張ったのか。
どういう努力をして、どういうことを学んで、どういう人と会ってきたのか。

そういう話をたくさん聞くことが理解に繋がるんだと思うんです。

そして憧れに近づきたいと思った時に
憧れをそのまま取り入れても、他人になれるわけではないので
自分のパターンに翻訳してから、取り入れた方がいいんだろうなあと思っています。
勝手にメンターにさせてもらうというか。
私はこう考えるけど、あの人はどう考えるかな。と考えを深めるのもいいと思います。

本を読む、というのは、そういうことを補完してくれるんだろうなと思っています。
特に伝記ものとか自叙伝とかは。
松下幸之助氏の伝記を読んだときは「私には到底こうはなれない」と思いながらも
「経営の神様にもこんな苦労があって、こう乗り越えたんだ」
「こういうことに意識をしていたんだ」
「私はそう思わないけど、その視点が大事なのはわかる」
「こういう点は真似ができるかもしれない」などの気付きがあり
今私は「現場を見る」「現場主義」というのは結構大事にしています。

憧れを憧れで終わらせずにするためには
知る努力が大事なんだな、とふと思った昼前でした。

たまにはこういうネタも…

それでは!



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