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まなざしを綴じて、心に触れる

計算が正しければ、付き合いが12年目に入る猫が我が家にいる。
行方不明になった過去があり、初めて会った頃と性格が結構変わっているところもあるが、行動で変わらないことが一つある。

我が家の猫は、私が哀しくて泣いている時に、必ずそばにきて、背中をピタリと合わせる癖がある。癒し効果を狙うなら頬をすり寄せたり、膝に乗ったりした方が良いものだけど、忖度をせずに背中を合わせてあちらを向き、私が泣き終わるまでただそこにいるのだ。

「待っている」のでもなく「慰める」のでもなく、ただ「そこにいる」。私は猫がこのように行動する時、一緒に暮らすことを決めた動物が他でもない猫で良かったと本当に思う。
鳥のように自由気まますぎても物足りないけれど、犬のように「どうしたの、どうしたの」と覗き込まれたら追い詰められる。想像すると苦しい。(※犬は何にも悪くない)

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猫はただそこにいるのだ、泣き終わったら「大変だったな。まあ、知らんけど」と関西弁で一言だけ言いそうな気配さえある。素敵だ。

ちなみに猫は、初対面で目をこちらから合わせようとしたら仲良くはなれない。目を合わせず、そばに来てくれるのを「待っていないふりして座っている」のが一番良いので猫と仲良くなりたい人は覚えておくと良いです。

医学書院の「シリーズ ケアをひらく」から出ている熊谷晋一郎先生の『リハビリの夜』を先日読んだ。小児からの脳性まひの当事者であり、自らも小児科の医師である熊谷先生が「リハビリテーション」を根底から疑い、自身の体験を通じてリハビリのあたらしい定義を書いた素晴らしい一冊だった。

脳性まひと一言でいっても様々ある中で、熊谷先生の場合は言語機能にはないけれど、随意運動にだけ障害があるタイプの方。簡単にいうと言葉では理解できる「こう動きなさい」と言われたイメージを脳内で指令を出しても身体がそれに反応しない、脳と随意運動機能の間のスイッチがちぎれてプランプランしている状態で生きている人だ。

小児性の脳性まひの子供たちは、日常的なリハビリに加えて、夏休みなどまとまった休みには「リハビリキャンプ」に参加し、トレーナーたちと過酷なリハビリを重ねるそうだ。
トレーニングはちぎれたスイッチがある配管に対して、指令を繰り返す訓練をすれば、いずれ身体が覚えて健常的な動きができるという前提で行われる中で、熊谷先生は早々に「健常的な動きを目指すリハビリテーション」から脱落した。

無理しかないリハビリの厳しいトレーニングから解き放たれて、身体がほぐれ、床にべたりとスライムのように身体を預ける瞬間に熊谷先生が感じた「悦楽」の話も面白いのだけど、今回はそれは置いておく。
(快感はしばしば、緊張と弛緩を行き来する瞬間に生まれる)

「健常の世界」からドロップアウトした熊谷先生は大学入学の時に一人暮らしを決行。鍵を開ける、玄関を上がる、椅子に座る、トイレに行く。あらゆる身の回りを取り巻く「もの」との自分なりの行動方法を編み出してから、改めて「ひと」との心地の良い関係性について考えをまとめていった。

まなざし、まなざされること

まなざし...
見ること、見られることを指す言葉であり、単に目で見るということのみならず、対象となるものをどのように認識するのかに関する特殊な哲学的意味合いをこめて用いられる。見ることを人間関係における極めて重要な要素と見なし、他者を見ることによって主体と客体という関係が成立すると考える場合、ここで主体が客体に向ける目が「まなざし」と呼ばれる。(中略)「まなざしという概念で言いたいことは、モノ・コトを見るということは、実は習得された能力であって、純粋で無垢な目などはありえないということである」とまとめている。_wikipediaより

熊谷先生の本の中でとりわけ好きだった言葉が「まなざし、まなざされること」という一文だ。熊谷先生は、言葉では意思疎通ができているのに、身体がスライムのようになって一向に機能しない無力な自分の姿を、散々トレーナーからじっと「まなざされ」るリハビリの夜を重ねてきた。

その多くの夜に、主体と客体のバランスは崩れがちで、主体(トレーナー)は強くなろうと身体を大きく広げ、弱き客体(熊谷先生、リハビリする患者)はそもそも力の入らない身体がさらに小さくなり、主体にだらりと寄りかかる。

力関係が悪くなり互いに疲弊するのは、まなざす側(トレーナー)の、客体とはこうあるべし、という固まった強いイメージがあり、まなざれる側(患者)がこうならなければならない、と屈した時。どちらかだけなら問題はないのかもしれない、どちらもあるとより疲れるのだ。

熊谷先生は自身に限らず、リハビリキャンプの過酷な毎日の中でそこにいる人たちのケアする側、される側の関係をつぶさに観察しているうちに「トレーナーの言うかくあるべし、に従わず、自分に合う動作イメージを作って、その範囲で生きていっても良いのではないか」と気づく。

以降、「私の生々しいありのままの動きを見咎めるようなまなざしを向けられようとしても、夜の私は怯えなかった。"今は私の時間なのだから"と他者の介入を許さない構えに、迷いがなかった」と書いている。

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別の日に私は、週末の1日をかけて、布を薬草で染める作業をしていた。大きな樽に布を貼って、友人とふたり無言で布を前に押し、手前に引き、前に押し、と赤く染まったお湯の中でひたすらに揉む。

浴室の洗い場に大人ふたりで汗をたらしながら布を染めていく。ゆったりと大きく、前に、手前に、と押し引きしていると、力を入れて押してからすっと手前に引くよりも、手前にすっと引いた力で弧を描くように前に押すと、布と私のあいだに気持ちの良い触れ合いが生まれたことに気づく。

布を揉む私の身体から力が抜けて、布を自分が触れているのではなく、布が私を触れているような心地がする。なんて気持ちがいいんだろう。布を揉む私の動作に丸い円が描かれ、永遠に揉んでいられるような気さえする。

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ケアをすることが仕事になった私には、ケアをされていた幼少期の経験がある。健常に生きている同級生と違って、同じように学校に通ったり、運動会に出たり、大きな声をあげることができなかった5年間がある。(幼稚園以前はあんまり覚えていない)

小児科の先生たちの献身的な瞳、「普通の子のように元気に生きてほしい」と願いを口にする母の言葉、それらよりも、無言で投げかけてくる「なぜ我が子はこんなに弱く生まれてきたのか」という父のまなざしが重たかった。

父への愛情とは別のところで「私はあのようなまなざしでケアをする仕事だけはしてはいけない」とどこかでいつも、強く思っている。ともすると、父と同じDNAを持って生まれてきた自分があのように人をまなざす癖があることを知っているからだ。
そして、ケアをし、ケアをされる両方の経験をして、人がまなざし・まなざされる関係から解き放たれるのはどうやっても難しいのだと知っている。

ケアをする仕事、ケアをされる立場でなくても、私たちは自分たちが思っているよりもずっと「自分が視る世界」に翻弄されて生きている。「こうあるべき」の型にはめてこそ、自分ではない他人を理解して、理解できたような気がして安心を求める。または、自分を肯定して生き延びる。
人はどんなに一人で生きていると思っていても、他者との依存関係から抜け出ることはなく、その強き・弱きの合間の苦しみと甘美を行き来して毎日をやり過ごすのだ。

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ただ、熊谷先生の本を読んでから、そして布を押し引きした時のあの丸い円を身体で感じてから、私はもう、まなざすことを綴じてしまおうと思った。自ら「あなたはこうあるべき」というまなざしを一層胸の奥底にしまって、どのような立場、どのような身体、どのような心を持って生きていても「ただ、息しているだけで素敵だ」と心の中で呟くだけのケアをいつかしたいと願うようになった。

誰だって、触れるように触れられたい。その時きっと必要になるのは、触れてみてから「このように触れてほしい」と主張するのではなく、自分で自身に触れて「こう触れると気持ちがいい」と自分でまず立つことである。
熊谷先生がまず「まなざされる」ことを綴じ、自分ができる行動イメージの中で生きていこうと決めていった時のように。

猫が背中に寄りかかる時、彼は私にまなざしを向けることはない。それぞれで宙を見つめ、背中を押し引きして、私たちは小さな弧を描く。互いがまなざしを綴じ、自分を信じた上で相手に寄りかかった時、それまで知らなかったような快感が広がる。

張り詰めて生きてきた身体が瞬時に緩んで、解きほぐされるのだ。宇宙人のように理解ができないけれど、愛してやまない他者との境界線が水彩画のように滲んでいく。その日を願い、眼をつむって、まずは自分に触れる。


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