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歪みの自然・矯正の不自然

「その人にとっての自然な歪みを矯正すると、不自然になることもあるんですよね」

最近通い直し始めている鍼灸治療院で、背中にボコッと膨らむ側弯症(そくわんしょう)の周囲、背骨に沿ってなかなかに痛い鍼を打ちながらS先生が言った言葉が心に残った。

私の側弯症は思春期に始まったもので、右の背骨のすぐ横側の筋肉にガングリオンのようなポッコリとした膨らみが定期的にできる。今のところその部分に痛みは伴わないけれど、背中や肩・首の張りや足のむくみが現れると少なからず側弯と繋がっていることを感じる。

中医学やアーユルヴェーダを勉強するにつれて身体の部分が全体に与える影響を体感するようになったこととそれは繋がっていて、これさえ治せばなんかいいことありそうだなーと思っていた矢先にS先生に出逢った。

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「部分の歪みと全体のバランス」は私のような側弯でなくても、指先をしっかり切った時でも感じることはできる。身体は一枚の皮膚でできているのだから、普段は繋がっている皮膚が一部分切れただけで、なんとなくどこかが踏ん張って、庇っているのがわかる。

いずれ再生する皮膚なら良いけれど、なんらかの事故や大怪我で身体の一部分がボルト、とかだと生涯ずっと庇っていくことになる。そういう方が普通の人より疲れやすかったり、定期的に「しんどいな」と感じるのは当たり前のこと。
私はこれまでそういう方とセッションなどで会ったら、そもそも「しんどいな」と思わないように根本的な消化力を見直したり、庇う方の筋力のトレーニングをし、身体の全体性を感じるように促すことが多かったのだけれど、S先生の「自然な歪み」「矯正しようとすると不自然になることもある」という言葉を聞いてハッと目が覚める思いだった。
「歪みは治せばいいことある」くらいにしか考えていなかった自分の浅はかさに、うつ伏せになりながら赤面した。

ちょっとした指先の怪我ならまだしも、大きな怪我や事故で得た傷も、それによって生じる歪みも、もはやそれがその人にとっての身体の自然になり、その傷も含めてバランスをとって生きることがその人の健康で、幸せであることもある。歪みがある身体だから見える世界もあるのだ。

大きな傷は事故や怪我だけで生じるものばかりでもない。人生にどうしてこんなことが起こり得るのだろうと目を覆いたくなるような辛い時期を何年も過ごすことで、心に大きな歪みが残る人もいる。

事故や怪我、心に残る大きな傷は、その人が生まれながらにして携えてきた「人生のレッスン」で、避けようがない道である。歪みのない身体が本当に必要なら、その人自身で庇う身体に筋力をつけたり、心に充分に温かい布団を敷いたりして、なんとかそのレッスンに立ち向かっていくのだ。

私ができることはそれを傾聴することだけで、無理に矯正を促すようでは、不自然になることもあるとS先生はそれとなく教えてくれたようだった。

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「人生のレッスン」というほど大きな歪みや痛みを伴わなくても、不調を通して人は新しい自分に出会うことがある。アーユルヴェーダのセッションをするようになって、月10人くらいの人の話を聴いて3年目になるけれど、聴けば聴くほど「自分の不具合に気づくことはギフトだ」と感じる。

セッションでは、その人としては他人にはほとんど話したことのない、できれば隠しておきたいような話ばかりを聴いてきた。毎度毎度、ありがたいやら、私なんぞで良いのか、なんとも言えない気持ちになる。

これからどんなふうに働いていきたいか・どんな老後を迎えたいかといった未来の話を聴くこともあるけれど、8割方が目先の「お悩み相談」で、ちょっと気になる不定愁訴が多い。痛み・冷え・コリ・張り、お腹の調子、肌の荒れ具合、眠り、生理...やがて心のバランスにたどり着くこともある。

つい最近は、環境の変化があると身体の不調が現れやすく、気持ちも不安定になりやすいというクライアントさんが「もうすぐ海外に移住することになるんですが、気候も食文化も異なる海外生活にあたって留意することはありますか」と相談してくださった。

その方は長らくリズムがバラバラで、その上小さな子をケアする仕事をしてきたのだが、ライフステージの変化で仕事を辞めてぽっかりと時間ができたら「最近、とたんに身体の不調を感じるようになってしまって、気持ちもなかなか落ち着かない」と言っていた。

お話を聴きながら思ったことが二つあって、一つは「最近気づいた不調と言っているけれど、実は前々からあったことを、時間がぽっかりできたことで気づいたのだろうな」ということ。
それから「海外への移住を前にして、環境変化に弱いご自身の身体の不調に気づけるのはこの方が受け取ったギフトだな」ということだった。

冷えやすく、乾燥しやすく、大好きな小麦食で不調を感じやすいそのクライアントに私は、高温多湿でおかゆ天国の移住先は、きっとそのお客様の身体には心地の良い所になるでしょう、と言った。もちろん、アーユルヴェーダで見た時の体質のバランスを丁寧に説明した上で。

そう言われたクライアントはなんとも嬉しそうな顔で「そう静香さんに言ってもらっただけで、ほっとしました。安心して旅立つことができます」と笑った。
「知ること」は予防になり、未来への明るい希望になることもある。

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ずっと気づかずにある程度元気にやってきた人が、小さな不調に気づくことでその後さらに元気に生きていけることもあれば、生まれながらにして大きな傷を身体や心に背負うことが決まっていて、人生の途中で定めとして生じた歪みを全身で庇いながら生きていくこともある。

私はどちらもそれは、人生のレッスンで、人生のギフトだと思う。
大切なことは気づけるか気づけないかで、気づくことができたら、その人はその人にしか見えない世界を知り「自分を生きる」ことを良くも悪くも体感することができる。

大きな傷を肩と心に抱えて、その歪みを受け入れながら歩く、あるひとの背中を思い出す。私にはもう、どうすることもできないけれど、せめてその人が自分の身体を今よりもう少し、愛おしいな、大切だな、と自分で自分を抱きしめてあげてくれるように願う。

自然と体力がつき、その歪みを無理に矯正することなく、庇う身体がしんどさを感じる日が少しでも少なくありますように、と小さなエールを送る。






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