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"わたし"に触れる、癒す、許す

昔々に読んだ外国の小説で、愛する人を探す男が身体中に刺青を入れながら世界中を旅していて、果ては全身に刺青が描かれたとき、過度の低体温症で亡くなるというかなしい物語を読んだことがある。

彼は探している人に最後まで会えなかった。人間は皮膚呼吸するわけではないけれど刺青で埋め尽くされると体温を失うと言われているから、そのせいかもしれない。

皮膚は身体の前面に出ているため、イメージがないかもしれないが胃や肝臓、心臓などと同じ「臓器」の分類に入る。むき出しの臓器だ。皮膚の1/3が火傷などの理由で失われると、そこから体液が流れ出し人は死に至る。

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皮膚は身体を外部から守るため一枚の皮となり包んでいるばかりでなく、ストレスを感じた時に炎症を起こし「今、ストレスを感じています」と状態を悪化させて教えてくれる心の反応装置でもある。

他の臓器が脳を経由してストレスの影響を受け取るのに対して、皮膚は独自にそれに相当するシステムを持っていることから「皮膚は露出した脳である」とも言われるようになっている。そして、皮膚が感知する刺激は、良くも悪くも脳に大きな影響を与えるから、皮膚と心のバランスはとても近いところにある。

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この夏、スキンケアブランドのSENNとのコラボレーションで「肌のお悩み相談室」というイベントを開催し、よくある肌の悩み別に3回に分けてアーユルヴェーダのお話をした。

くすみやシミ、吹き出物やアレルギーがどのような経路をたどって私たちの皮膚に現れるのか、その物語と、これからのケアについて話すたびに、わたしは表面的なトラブルへの理解よりも、そのように反応してくれる人間の皮膚へのいとおしさが深まるばかりだった。
皮膚は、人の内部と外部を隔てる境界線だ。確かに在るようで実は脆い"わたし"を外の異なる世界と隔て、そこに一人でいさせてくれる。

インド哲学の「自我」と「宇宙意識」の間にあるものを、わたしはいつも風船のゴムの皮一枚に例えて説明する。
ほとんどの人は"わたし"はなぜ他者とこんなにも違うのだろうということと闘っている。比較することで"わたし"を認識することができる一方で、その差に悩み、自分らしさを探そうとする。

考えれば考えるほど分からず、大きく隔てているように見える"わたし"と他との間だけれど、実はゴム風船のように薄い皮一枚でしかなく、針をぷすりと刺したら簡単に弾けて、そこには同じ空気しかないんだよという話。

それくらいうすぺらいものが私たちを困らせ、悩ませ、"わたし"とは何かをわからなくさせる一方で、実は一番"わたし"が何かを教えてくれているのだ。ゴム風船の皮一枚は、私たちの皮膚一枚と同じである。

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自分自身をゆっくりと撫でてみて、どんな感情が生まれるだろう。

健康な人であれば、自分をゆっくりとした速度で優しくなでるような刺激を脳で感じると、自己の感覚を心地よく感じるものだ。

それに対し、自閉スペクトラム症(ASD)の人や、自分を嫌いで自己受容が低い人は、優しく撫でるような刺激が苦手で、むしろ痛みやタッピングのような刺激を好む傾向にある。
不快に思わなかったとしても「自分を撫でて気持ちよく感じない」場合、自分を受け入れられていない現れなんだそうだ。

ASDの場合は触覚受容器の異常だから個性の一つと言えるかもしれないけれど、幼少期の成長過程の記憶や、何か大きく傷つくような出来事との遭遇で、先ほどのゴム風船の話で風船の皮一枚がかなり分厚く見えてしまっている人は、触覚を始め、身体の感覚器官が鈍感になっていく。

でも、心は反応していないわけではないのだ。分厚い要塞のような身体の中で、心だけが反応しているというのはどんなに苦しいだろう。そういう人の身体には、わかりやすく全身にじんましんが出たり、アトピーが出たり、しないような気がする。

これはあくまでわたしの個人的な観察結果だけれど、心が閉じこもっている人ほど、皮膚の炎症がごく一部に止まって、小さな乾燥の塊がいつも同じところに、または同じようなものがあちこちに移動して現れる傾向にある。

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自分を撫でても気持ちいいと感じられない。

それくらい心が閉じてしまうときは誰にでもやって来る可能性がある。もしもそういう状態になっていたら、なっていなくても、そばに好きな人がいるのならその人に触れてもらうことに身を委ねてほしい。

自分の手のひらの温もりを感じられなくなった人も、自分を受け入れている人からの触れ合いは喜びと感じることもあるそうだ。一枚皮を隔てた他者との繋がりが、受け入れられなかった自己を受け入れるきっかけになる、不思議な話だと思う。

一日、また一日と積み重ねるようにしてその人に触れられるうちに、感謝の気持ちが自己を深く肯定する気持ちにつながり、長い時間をかけていけば、自分自身に触れて心地よい感覚につながることがある。

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他者に触れられることにも抵抗を感じる人には、オイルを使うことを勧める。オイルやクリームなど、油脂分を手に塗ってから皮膚に触れると、受け入れてない自分自身が直接的に触っているのではなく、一枚隔てたところでなんとなく嫌でない感じに触れられている、と人の肌は認識するのだそうだ。

アーユルヴェーダでいちばんのセルフケアとして出てくる「アビヤンガ」はオイルマッサージのことで、乾燥・冷え・低体重で悩む人や、出産したばかりのお母さんは特に、このアビヤンガをしてあげると良い。
お母さんが元気になってきたら赤ちゃんと自分を一枚の皮のようにいっぺんにアビヤンガをするようにすると、赤ちゃんは毎日100回くらいハグされたような深い愛情を感じ、お母さんもまた、赤ちゃんと産後もまだへその緒で繋がっているような深い繋がりを感じて成長していく。

お母さんと赤ちゃんはもちろんのこと、一般の人もアビヤンガを続けていくうちに身体と心が繋がりを取り戻し、安定感を感じるようになるのはこういうことなんだろうなと思った。

この時、大切なことは「タッチは羽のように軽く」ということで、ぎゅうぎゅうと凝りをほぐすように押すのではなく、優しく触れるだけで十分ということ。

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わたしは、大好きだった人の身体がもう何年も前からまともな呼吸を忘れ、凝り固まり、小さな乾燥の塊が現れていて、そもそも右腕の一部が過去の外傷でつぎはぎの状態であるのを見て途方に暮れたことがある。その頃は、料理人ではなく、セラピストになれば良かったと思った。

そういうわけにもいかないから、代わりに、美味しい料理を作ってみたり、料理を作ることができる手のひらで何度もその人の身体を心を込めて撫でた。しかし、その人の身体はどうにもこうにも固まったままで、それどころか要塞はさらに分厚くなり、硬く扉を閉じた。わたしは自分の手のひらを差し出すタイミングを間違えたことを、随分時が経ってから知った。

これから先はもう、いつか自分の手のひらがその人の固まった皮膚を温かく溶かす日が来るようにと願うのではなくて、その人が自分の手のひらで自分を撫でて、風船の向こう側から世界をのぞく顔に、不安が減り、安心が広がることを願う。

自分に触れて、癒し、許してあげてほしいと願うばかりだ。


(写真:石川昴樹)

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