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自分を傷つけずにはいられなかった日々を思う

学生時代、
自分を傷つけたことがある。

メンタルヘルスにまつわることは
いやというほど学んでいたのに。

むしろ、学んでいたからこそなのか
その手段に縋ってしまった。

生きていたいけれど、
なんだか苦しいしつらい。
でも、気のせいかもしれない。
でもそんなことはない、
わたしは本当につらいんだ。

そのことを
ちゃんと刻んでおきたかった。

痛みを物理的に実感しないと
不安でたまらなかった。

習慣化はしなかったけれど、
一度知ってしまったやり方。

働き始めてからも、時々、
その手段に縋ることもあった。

わたしはつらい、もうやめたい。
いや、気のせいのはず、つらくない。
苦しい、もう立ち止まりたい。
まだやれる、みんなの方が大変だ。
わたしが、いなくなればいいのに。

この気持ちを気のせいで
終わらせたくなくて。

夏でも長袖を着て、働いた。
袖に傷が触れて、
「痛み」の確認ができた。

平気なフリをした。

平気なフリをすれば、
どうにかなると思った。

結局、どうにもならなくて、
退職した。

なんか知らんけど、
流れで、休む間もなく転職。
また、働き始めた。


1年と少し。
ジェットコースターな気持ちと
共存しながら耐え忍んだ。

また、もやもやが来た。

しんどい、休みたい。
みんなよりマシ、気のせい。
つらい、つらい、苦しい。
まだ本気を出してないだけ。
わたしが、いなくなればいいのに。

また、半袖が着れなくなった。
暑いのに腕まくりができない。
あちち。

そして、休職した。
直後、自分を
傷つけずにはいられなかった。

まだできたのに、逃げ出したんだ。
とっくに自分は壊れてたよ。
身体は動くし、頭も動く。
働ける状況から
かけ離れた精神状態だよ。
自分は辛いはずなのに、
辛いかどうかに実感が伴わない。
わからない、
自分のことが信じられない。

痛みが、わたしに教えてくれるんだ。
心の痛み、生きてる実感。


休職し、社会生活から離れると
見た目に気を張ることがなくなり、
傷つけ方も少し変わった。

2か月くらいで、
ピアス穴が20個になった。

ピアスなんて、
もう開けることはないと思ってたのに。

傷が痛みを伴い、物体を伴い、
わたしの身体に存在していることに
わたしの心が救われた。


休職3か月目。
自分を傷つけることは無くなった。
けれど、またそんな日は来るだろう。
その時は、そうなる前に、
まず自分のことを信じて
いたわることから始めたい。
そうなったとしても、
そんな自分を含めて、愛してあげたい。

7月某日。
オープンキャンパスに出かけた。
流石に両耳合わせて20個ピアスは
いかつすぎるので、
軟骨以外はクリアピアスに付け替えて、
軟骨は髪で隠して誤魔化した。
普通の人の、フリ。擬態である。

物理的な傷も、心理的な痛みも、
まるっと抱えながら生きていく。

それが、わたしという人間なのだ。


自分へ

たくさん傷つけてごめんね。
過食だって、ゆるやかな自傷行為で、
ずっと不健康になることを
祈ってしまう自分がいたよ。
ごめんね。

感情が不安定だった、
高校時代と、大学時代に
突然丸刈りにして、同期に驚かれたね。
表向きには「若気の至り」と
笑い飛ばしているけれども
行き場のない攻撃的な気持ちが
「髪を剃る」に変換しただけだね。
話のネタにはなったけれど、
あの時よく生きたね。

これから先も苦しい時には、
自分を傷つける日があるかもしれない。
でも、そうなる前に、
自分の気持ちと向き合って対話するよ。
それでもそうなってしまったら、
諦めずに、次そうならないように
対話し続ける。

ここまで頑張ってくれてありがとう。
これから、わたしも少しずつ
変わっていくと思うから、
引き続きよろしくね。

自分より。

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