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三千世界への旅 魔術/創造/変革78 近代日本が落ちた穴

満州をめぐる論理と非理性


満州の場合はもっと複雑です。

そもそも清王朝の支配者は満州人ですから、彼らにとって満州は特別な土地です。しかし、国家としての機能が弱体化し、欧米列強に様々な理屈をつけられて、領土の一部を租借地として支配されるようになっていく中で、南満州もロシアの租借地域になりました。

1905年、日露戦争でロシアに勝つと、日本はこの南満州を租借地として獲得し、ロシアが進めていた鉄道の敷設や鉱山経営などの事業を引き継ぎます。

租借というのは、外国がその地域を借り受けて事業を行うことですから、厳密に言えば日本の領土になったわけではないのですが、実際には租借権を獲得した国がその地域を統治し、独占的に事業を行い、地元の人々を差別的に扱うといったことが当然のように行われていました。

ところが、1911年に辛亥革命が起きて清王朝が倒れ、中華民国が誕生すると、新政府は日本の租借権を認めず、満州の国土回復をめざして軍事行動に出ます。

日本としては「旧政権との条約で租借権を獲得したんだから、政権が変わってもそれは維持されるべきだ」と考えたいところですが、新政権としては満州人の旧政権がダメだから革命を起こしたわけで、旧政権のやったことを否定しますから、当然「日本は満州から出て行け」と言いうわけです。

しかし、新政権も理想主義的な思想家の孫文と軍人である袁世凱の対立や、いろんな政治家や軍人や官僚や財閥、共産党のような左翼等々の思惑が絡んでグダグダ状態になってしまい、軍事的な満州奪回はうまくいきませんでした。


非理性のエスカレーション


これに対抗して日本は満州に駐留する軍を強化し、そこでの経済活動を拡大していきます。

特に1930年あたりからは世界恐慌の影響で日本経済が危機的な状況に陥り、天候不順で農作物の不作が続いて飢饉が起きたこともあり、満州の重要性が増していきます。疲弊した農村から農民を募集して満州に開拓民として送り込む事業も、積極的に推進されました。

満州の開拓と軍備の急拡大で経済危機が一時的におさまったこともあり、満州はますます重要な土地になっていきます。

これと並行して軍の発言権も増していき、軍人が政治に介入するようになり、軍国主義がエスカレートしていきます。

満州で日本の支配を強化するため、日本は満洲国を建国し、清朝最後の皇帝・溥儀をトップに据えて、実権は関東軍つまり満州の日本陸軍が握るという体制をとりましたが、実態が日本の領土化であることは見え見えでしたから、中国側はさらに反発を強めます。

最初のうち日本と仲良くしていた地元の軍閥・張作霖が日本のやり方に反対するようになると、関東軍は柳条湖で彼が乗っている列車を爆破して暗殺します。さらに、この事件を中国側のテロだと主張して、満州全体を関東軍の支配下に置きます。

なんだかチェチェンやジョージアやウクライナでロシアがやってきたことを連想させますが、ここからいわゆる満州事変が始まり、戦線がなし崩し的に拡大して日中戦争、太平洋戦争へとエスカレートしていきます。


非理性を正当化する論理


今でも日本には、中国におけるこうした一連の行動を、「当時は欧米も植民地支配をしていたんだから日本は悪くなかった」とか、「日本が満州の租借権を持っていたんだから、それを否定した中国が悪い」とか、「満州事変を口実に欧米列強が日本を潰しにかかってきたんだから、日中戦争も太平洋戦争も正当防衛だったんだ」といったふうに正当化しようとする考え方があります。

しかし、満州事変にしろ、日中戦争にしろ、太平洋戦争にしろ、日本は満州で中国側に抵抗されたり、欧米列強から非難されたり、経済制裁を受けたりしているうちに、我慢できなくなって先制攻撃を仕掛けていますから、当時の国際社会のルール違反を犯しているわけです。

そういう超法規的な行動を正当化するということは、結局武力で決着をつけるしかないということですから、日本はそれまで順守していた欧米主導の国際ルールを否定したことになります。つまり正当性を自ら放棄したわけです。

それで正当性を主張したいなら、戦争に勝って欧米のグローバル支配を根底から覆し、大日本帝国による支配を欧米やアジア各国に認めさせるしかなかったわけですが、結果は戦争に負けて植民地を放棄し、欧米が支配する秩序に復帰したわけですから、自分たちの誤りを認めたことになります。

国際社会で自分たちの誤りを認めておいて、陰で「本当はおれたちは悪くなかったんだ」と愚痴を言っても、たとえそれが本音だったとしても、国際社会では相手にされませんし、中国や朝鮮の人々は日本人のそういう本音を見透かしているので、日本に対する敵意を持ち続けます。


グローバルな支配と正義


もちろん、だからといって欧米先進国のグローバルなシステムが絶対的な正義というわけではありませんし、その背後には先進国それぞれの利益を追求する非理性が存在するわけですが、ゲームとしての統治がとりあえず理性的とされる国際社会のルールで運営されているかぎり、それを否定して武力に訴えることを正当化するのは、非理性的な行為でしかありません。

その戦争は戦力・経済力から見て勝ち目のない無謀なものでしたし、万が一戦争で勝ったとしても、負けた国々の憎悪や抵抗を抑えつけながら敗者を支配しなければなりませんから、日本は極度に強権的な帝国にならざるを得なかったでしょう。

科学的・理性的・合理的な欧米先進国による支配も、支配される側にとってはあまり心地のいいものではありませんが、ナチスのドイツ帝国や大日本帝国が欧米先進国に勝って世界を支配していたら、それよりはるかに凶悪な支配者になっていたでしょう。

当時の大日本帝国には、欧米先進国のように世界を経済発展へと牽引していく仕組みはありませから、欧米先進国だけでなく、アジア・アフリカ・中南米など地球上のほぼすべての地域の国々・民族を敵に回し、世界中を貧しい状態に押し留めながら、抵抗を弾圧しなければならなかったでしょう。


継続された欧米の世界支配 


こうして欧米先進国による世界支配は、20世紀の世界大戦で軍国主義・ファシズム国家ドイツ・イタリア・日本の挑戦を受け、大きな危機を迎えましたが、戦争に勝つことで支配体制は維持されました。

その後本格化した、ソ連と東欧諸国、中華人民共和国など社会主義国からの挑戦も、いわゆる自由主義陣営の経済発展により、退けることができました。

そして、欧米先進国の世界支配は今も続いています。

20世紀末から21世紀に急速な経済成長を遂げ、大国になった中華人民共和国の挑戦が始まっていますが、これが新たな東西対立、冷戦の時代を経て世界大戦の時代へと移行していくのか、人類がこれまでの反省を踏まえて賢くなり、危機を回避できるのかはまだわかりません。

欧米先進国は相変わらず、格差を拡大する資本主義の欠陥に目をつぶって、自由主義による科学的・理性的・合理的なシステムの維持にこだわっていますが、それは彼らが支配者でいられるシステムだからです。


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