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三千世界への旅 魔術/創造/変革40 近代の魔術18 革命の魔術と宗教性

スターリンを支持した人民


共産党の内部抗争でスターリンのような古い絶対君主型の支配者が勝利したいきさつと、そこにはたらいた組織のメカニズムを、僕なりに説明してみましたが、これだけではスターリン個人が異常な野心とか権力志向で権力者にのしあがったような感じです。

スターリンに関する本は大体、彼や社会主義や共産党に批判的な人たちが書いたものなので、そんな感じの野蛮で滑稽な権力者スターリン、あるいは自由の敵としての共産党みたいなイメージで満足しているものが多いのですが、実際起きたことにはもっと人類すべてに関わる普遍的なものが隠れているような気がします。

陰謀や情報操作の技術を駆使しながら、スターリンは共産党やソビエト連邦、世界中で革命をめざしていた共産党を支配する権力者になっただけでなく、それらに関わる人たちからの信任・支持を獲得しました。

それがどれだけ邪悪な陰謀によるものであっても、彼は権力によって彼らを無理やり服従させたのではなく、多くの人たちは彼を信任し、崇拝したのです。なぜそんなことが可能だったのでしょうか?

そこにはヒトラーとナチスが用いた大衆心理の操作技術に通じるものが働いていたように見えます。


大衆心理のマネジメント


共産党の権力闘争に勝ったスターリンは、組織の支配者としてソビエト人民と世界の社会主義者・共産主義者に自分を偉大な指導者としてのイメージを浸透させていきます。

彼はロシア革命以前から政治思想的な文章を書いていましたが、その内容はレーニンやトロツキー、ブハーリンに比べてたいしたものではなかったといいます。しかし、権力を握ると彼は自分の著作集を大々的に読まれるようにし、偉大な革命思想家としてのイメージを浸透させていきました。

彼の価値観は他の革命家たちに比べて古風で、ロシア革命スタート直後の前衛的な美術運動や、ヨーロッパで評価されていた先進的な思想は弾圧され、共産党の絶対的な正しさが強調されました。

革命本来の解放思想は、革命家たちの粛清・追放によって排除され、共産党の指導に反する考え方は、のちにKGBに発展していく人民委員部という思想管理組織によって摘発され、処罰されました。

人民委員部はレーニン時代に設立されているので、スターリンの発明ではないのですが、元々は反革命勢力と戦うために設置された組織でした。しかし、内戦に勝利し、共産党の独裁が確立されても、スターリンはあらゆるところに反革命分子を見つけ出そうとするようになります。

実際には反革命的なことを考えたり言ったりしていなくても、そういう密告があっただけで逮捕され、尋問され、脅しや拷問などによって自白を強要され、思想犯として収容所送りになる人が増えていきました。


反体制派の量産による支配


1970年代に日本でもよく読まれ、ノーベル文学賞を獲得したソルジェニーツィンの『収容所群島』は、半世紀の間に数千万人ものロシア人が反革命の罪で収容所送になったという異常な現象を描いています。

ソビエト共産党が勝利した後もこんなに膨大な反体制派がいたということに驚かされますが、ソルジェニーツィンによると、彼らの多くは濡れ衣を着せられただけか、ほんの出来心から禁じられている本を読んだり、共産党批判と受け取られかねないことを言ってしまったりした人たちだったようです。尋問の過程で他にも反革命行為の密告を強要されて、たいした根拠もないのに知り合いを売ってしまった人たちもいました。

この異常な反革命分子の摘発は、不自然な一党独裁を続ける共産党の不安や疑心暗鬼から生まれたと見ることもできますが、もうひとつ見逃せないのは、それが革命のエネルギーを生み出すメカニズムでもあったということです。

ナチスがユダヤ人を敵視し、彼らがいかに有害かを宣伝することで、ドイツ人にとっての敵を作り出し、国民がナチスの支配の下で一致団結して行動するように導いていったのと、ある意味同じメカニズムがそこに隠れています。

多くのドイツ人が内心そんなユダヤ人弾圧に違和感を覚えていたように、多くのソビエト人民はこういう体制を息苦しいと感じるようになっていったようですが、ソ連の場合、文句を言えば自分が反革命分子になってしまいますから、黙って従うしかありません。

しかし、どうしてこんな圧政が広がり、確立されてしまったのでしょうか?


独裁の魔術


そもそもレーニンが生きていた頃や、死んだ直後は、まだスターリンの支配が確立されていたわけではありません。共産党指導部はソビエト人民が革命を支持してくれるように気を配りながら、革命への参加を、革命のために労働の現場で生産に励むよう呼びかけていました。資本主義の生産力に負けないことが、革命のために戦うことだったからです。

人民の多くは、帝政末期の貧しさや、第一次世界大戦の悲惨な生活から脱出するため、ときに不平不満を抱きながら、せっせと働いたのかもしれません。しかし、帝政が崩壊し、ロシアでは未熟だった資本主義を支持する勢力は粉砕され、社会主義の道を進み始めた以上、他に豊かになる方法はありません。

共産党指導部の革命家たちが、人民の前で内部分裂の実態を晒すのを恐れたように、人民も自分たちを導く党が内部抗争で揺れて崩壊したりするのを望んではいませんでした。

彼らは難しい革命理論は必ずしも理解していなかったかもしれませんが、少なくとも絶対的に正しい組織が、自信を持って自分たちに呼びかけ、やるべきことを示してくれることを望んでいました。

そしてスターリンは彼らのニーズに応えたのです。

そこには、フランス大革命で革命家たちがバトルロワイヤル的な殺し合いを始め、大混乱に陥ったとき、単なる軍人にすぎなかったナポレオンが独裁官として混乱を収拾したのと同じ魔術がはたらいたと言ってもいいでしょう。


革命の変質


末期症状を呈していた帝政と、第一次世界大戦の悲惨な消耗戦から生まれたロシア革命は、何百年も続いた支配体制からロシア人を解放しました。すべての革命は、それまで自分たちを縛り付けていたものからの解放で始まりますが、それは単なる始まりにすぎません。

古い体制を打倒して権力を握った勢力は、たとえ民衆のためを思ってのことでも、新しい体制を構築し、運営していかなければなりません。

解放は古い体制の破壊ですが、それだけでは混乱が生まれるだけです。考え方の違いから革命家どうしの対立や構想、殺し合いが始まることもありますし、古い体制で苦しんできた民衆が勝手にモノや利権の取り合いを始めることもあります。

革命で誕生した多くの政権が、解放から国民の抑圧、強権的な支配へと変質するのは、こうした事態を防ごうとすることによってなのかもしれません。

スターリンが独裁的な権力を握り、自分を偶像化したのも、ある意味ロシアと人民に良かれと思ってのことだったのかもしれません。

彼はその過程で有名な革命家たちをほぼすべて粛清しましたが、同時に何十万とも言われる膨大な数の共産党員や中央・地方の行政委員たちを粛清しています。


変質のメカニズム


後に検証されたところでは、彼らのほとんどはスターリンにとって危険だったり、反抗的だったりしたわけではなく、共産党の指導に対して従順な人たちでした。

そんな人たちを片っ端から粛清したのは、スターリン個人の臆病で猜疑心の強い性格のせいだとする見方もありますが、僕にはもっと違うメカニズムがそこに働いているように見えます。

スターリンにとって、自分に反抗的か従順かはどうでもいいことで、重要なのは彼とソビエト共産党が絶対的に正しい革命のリーダーであり、神にも等しい崇高な存在であることでした。それを国民・人民に徹底してわからせるためには、嘘か本当かに関係なく、彼とソビエト共産党に弱々しく楯突いて、滑稽かつ惨めに退治されていく「反革命分子」が必要だったのです。

そうした退治される悪役が多ければ多いほど、彼と党の権威・権力は強化され、革命は華々しい成功を収め続けることができるというわけです。

もちろんそれは恐怖や不安、憎しみを生みますが、それらも革命という崇高な事業を遂行していくために必要な苦しみであり試練であるということになります。

革命の初期に輝きを放っていた革命家たちも、現場で自分たちが主役になって革命を牽引するんだと意気込んでいた民衆も、大粛清で姿を消し、後にはスターリンが唯一無二の天才的革命思想家として残りました。革命思想は自分たちがそれぞれ主体的に考えたり語ったりするものはなく、絶対的な権力者である彼から与えられ、経典のように唱えるものになりました。

すでにちょっと触れましたが、そこには宗教の変質を連想させるものがあります。


宗教の変質と革命の変質


仏教は元々一人一人が自分を解放するために、すべてを捨てて修行するメソッドでしたが、いつの間にか修行はプロの僧侶だけがするものになったり、民衆は神聖な経典を唱えたり、仏像を拝んだりするだけで救われるとされたりするようになったように、ロシアの社会主義革命も民衆による解放から、国家や独裁者による支配へと変質していったと見ることこともできます。

キリスト教も新約聖書に語られているように、キリストが当時のユダヤ社会に疑問を持ったり、疎外されていた人たちに「この世はもうすぐ滅びるから、信徒たちに家や家族を捨て、社会のしがらみから自由になって、正しく生きろ」と呼びかけりしたことで生まれたのだとしたら、その後カトリック教会とか正教会といった巨大な組織が信徒を支配するようになったのは、真逆の変質・大転換が行われたことになりますが、政治的な革命にもそうした変質・大転換が起きる必然性が隠れているように思えます。

国家とか社会といった人間の集合体は、法律を基盤として知性や理性によって運営されるものですが、それを運営するのが人間という感情や欲望に突き動かされて生きる存在であるかぎり、常に非理性的な夢や幻想がそこに介在します。

革命のようにそれまでの秩序を破壊して遂行される変化は特に、そうした非理性的な意欲、エネルギーが大きな役割を果たします。

それは膨大な個人が集まった集合的な意識によって遂行されるので、そこに作用する非理性も知性とか理性で制御できないものになりがちです。革命によって誕生した政権が、信じられないような暴力や、宗教的とも言える時代錯誤的な権力体制を生み出すことがあるのも、それほど不思議ではないのかもしれません。

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