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三千世界への旅/アメリカ17

古代ローマから学ぶアメリカという国家のメカニズム


アメリカ的バランスの喪失


ここまで、アメリカをいろんな角度から見てきましたが、アメリカ合衆国という国家は、いろんな勢力の価値観が対立・抗争することで、国家として迷走すると同時に、肝心なところでは意外と理性的で妥当な決断が下されたり、せめぎ合いの中で妥当な落とし所に行き着いたりしたことがわかります。

アメリカが理想的な国家だとは言えないかもしれませんが、いろんな価値観を持ついろんな勢力が主張したり、邪魔しあったりすることで、全体としては適度なチェック機能がはたらき、極端な破綻が避けられてきたとも言えるでしょう。

パワーを増大するダイナミズムを維持しながらバランスをとり続ける、このメカニズムがアメリカを巨大な帝国にしたと言えるかもしれません。

しかし、21世紀に入ってこのメカニズムが機能しなくなり、グローバルなアメリカのパワーや影響力が低下しているのではないか。そんなことが至る所で囁かれています。

それは事実でしょうか?

たしかに、アメリカの経済構造が変化して、新しいタイプの貧困層が拡大し、そうした層の不満がアメリカを非理性的な国家主義・民族主義へと追いやろうとしています。

ドナルド・トランプとその支持層が唱える「アメリカ・ファースト」は、アメリカの伝統だった孤立主義への回帰であると同時に、グローバル化した今の経済・社会を破壊する非理性的な選択でもあるように見えます。

これに呼応するように、世界中の国々でも自国優先の国家主義・民族主義が復活・台頭しつつあります。

これはひとつの時代が終わりつつあることを示しているんでしょうか?

これについてはいろんなことが言えると思いますが、ここではひとつの視点として、かつて当時としては「グローバル」な帝国を構築した古代ローマと、アメリカを比較することで、そこにどんなメカニズムが働いているのかを考えてみたいと思います。


帝国の衰退


21世紀に入ってからのアメリカの分断や混乱を見て、衰退期のローマ帝国のような「終わりの始まり」が始まったという人がいます。この「終わりの始まり」という表現は塩野七生の『ローマ人の物語』の第11巻のタイトルに使われている言葉です。

この第11巻が扱っているのは最盛期のローマ帝国を統治した五賢帝の最後の皇帝マルクス・アウレリウスの時代ですから、色々と問題を抱えながらもまだ治世が安定していた時代です。

次の第12巻は「迷走の時代」、13巻は「最後の努力」、14巻は「キリストの勝利」、最後の15巻の「ローマ世界の終焉」でようやく帝国の滅亡が語られます。

ローマ史には18世紀イギリスの『ローマ帝国衰亡史』というギボンの古典的名著があって、これはマルクス・アウレリウスの時代から、東西帝国への分裂、それぞれの帝国の衰退と滅亡を描いています。

ローマ帝国はいかに繁栄へと上り詰めたか以上に、長い時間とプロセスを経ていかに衰退していったかが興味深いと多くの人が考える国家のようです。

今のアメリカが衰亡期に入ったのか、それともまだ繁栄期にあるのか、断言するのは難しいですが、巨大で複雑な機構を持つ帝国に発展したために、常に色々と問題や内紛、対立の種を抱え、繁栄が続くとしても衰退していくとしても、何をもって繁栄・衰退というのかによっていろんな見方ができるでしょう。



アメリカの拡大期


ひとつはフロンティアの拡大から見ていくことができるかもしれません。

アメリカの領土的なフロンティアは、16世紀末に始まる初期の入植から18世紀末の独立戦争までの200年は、東海岸に限られていました。それが次の100年で今のアメリカ本土全体を領土とするようになり、20世紀にアラスカとハワイを加えて今の領土が完成しています。

ヨーロッパやアジアの強国が領土を拡大するためには危険で困難な侵略・征服が必要だったのに対して、アメリカは先住民の人口が少なく、国家を基盤とする強固で巨大な組織を構築しておらず、地域の部族単位でイギリスやフランスに協力したり抵抗していたりといった状態だったので、独立後のアメリカ人はほとんど手付かずの大地を開拓するように、領土を拡大していくことができました。

しかもアメリカ合衆国は自由主義の国ですから、開拓民は国や事業会社のサポートを受けて新しい土地に入植することができ、手に入れた土地は自分たちのものになりました。新しい土地には農地だけでなく、商工業の拠点が、町が、都市が築かれ、それがアメリカ全体の経済発展につながりました。



古代ローマの拡大期


古代ローマにも今のローマ市の中心部にあった小さな都市国家が、近隣諸国に戦争を仕掛けながら領土を拡大していった成長期がありました。

古代の地中海世界では、戦争して勝つと、相手を完全征服して、殺したり奴隷にしたりしましたが、ローマはそういう野蛮な征服・支配をせず、負けた相手を同盟国としました。税は徴収しましたが、道路などの社会インフラを整備して、社会・経済をより発展させる体制を構築することで、ローマだけでなく同盟国になった敗者も前より豊かになりました。

この方式でローマはイタリア半島を統一し、地中海の強国に成長します。今の南フランスに属州と呼ばれる植民地も獲得しました。

強国になったことで、シチリアのカルタゴ系都市国家とギリシャ系都市国家の抗争に巻き込まれ、北アフリカから今のスペインに広がっていたカルタゴ本国と戦争することになり、慣れない海戦で最初は苦戦しましたが、なんとか勝利します。

しかし、カルタゴはスペイン総督の息子ハンニバルが大群を率いて南フランスからアルプスを越えてイタリア半島に攻め込み、反撃に出ます。ハンニバルは天才的な武将でしたから、ローマとその同盟国軍を半島のあちこちで撃破します。


古代ローマの新しさ


しかし、ローマの同盟国はローマがどれだけ負けても離反せず、ハンニバルに占領されれば一応服従しますが、ローマ軍が再び戦いを挑んでくると、それに呼応して戦いました。

これがハンニバルにとっては誤算だったようです。当時の価値観からすると、戦いに負けたら敗者ですから、支配されていた属国は解放されて勝者側につくのが普通だったのですが、ローマの同盟国はそれをしませんでした。

ローマの統治がそれまでの古代世界の支配ではなく、共存共栄できるシステムだということを理解していたからです。そこにローマの新しさがありました。

ハンニバルは戦いに負けることなく十何年もイタリア半島に居すわり続けましたが、結局首都ローマも半島も征服できず、母国カルタゴに召喚されます。

彼が留守をしている間に、ローマ軍がスペインやカルタゴの近隣地域に攻め込み、本国が危なくなってきたからです。

結局、ハンニバルはカルタゴ近郊でローマ軍との決戦に敗れ、カルタゴは滅亡しました。ローマは個々の戦闘で負けながら、ハンニバルの戦術を研究し、国家としての大きな戦略で最終的な勝利をものにしたのです。ここにもローマの新しさがあります。


巨大帝国の拡張と限界


地中海西部に広大な領土を獲得したローマは、その後中東や今のフランス、イギリス、東欧、エジプトなどへ領土を拡大し、巨大帝国になります。領土的には帝政に移行してから100年くらいで最大になりました。

五賢帝の二人目、ハドリアヌス帝はそれ以上領土を拡大しないと決めました。長くなった防衛ラインを維持するには、多大な兵力や設備が必要ですから、領土の拡大には限界があったのです。

古代の国家の発展をもたらすのはやはり武力による領土拡大ですから、ハドリアヌスの時代に領土が最大になった時点で、帝国発展の基盤も限界に達したと言えるかもしれません。

しかし、ローマ帝国は獲得した領土に最先端の技術や文化を導入して、社会・経済・文化インフラを構築し、未開の地だった新しい領土を文明化させていきました。今で言う経済発展はむしろ領土を獲得してから本格的に行われたわけです。この経済的な発展が、ローマ帝国を長生きさせ、衰亡期を長引かせたと言えるかもしれません。


アメリカ帝国延命のメカニズム


古代ローマの拡大・繁栄と、その限界への到達は、今のアメリカを見るための参考になりそうな気がします。

アメリカの開拓期、領土拡大は19世紀でほぼ終わったと言えるかもしれませんが、アメリカ経済は科学技術や資本主義の発展による商工業の爆発的な成長で、その後さらに加速度的に拡大していきました。

産業の主役は製造業から金融・情報・サービス業に移り、経済全体の牽引役が産業から消費者になったことで、成長はさらに加速されました。

20世紀後半からは経済のグローバル化が進み、アメリカはその中心的な役割を果たしたので、政治的・軍事的な領土の拡大が完了しても、アメリカ経済はさらに成長できたわけです。

製造業の発展や消費者市場の拡大は、新興国に舞台を移していますが、アメリカをはじめとする先進国は、金融やITや流通など、あらゆる産業をサービス業化することでより大きな社会ニーズを満たし、21世紀の経済成長を継続させてきました。

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