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デミロマンティックと診断されたので自分の恋愛傾向を振り返ってみた


みなさんは、“デミロマンティック”という言葉をご存じでしょうか。


デミロマンティックとは…

「強い感情的な絆や、信頼関係が築かれている関係」の人に対してのみ、稀に恋愛感情を抱くセクシュアリティです。

デミロマンティックとは?【デミセクシュアルとの違い】-JobRainbowより引用

とあります。

私は二度ほど受けたanone診断で、どちらもデミロマンティックと診断されました。

けれど、

強い信頼関係で恋に落ちるって、別にめずらしいことじゃなくない?

私ってほんとうにデミロマンティックなんだろうか?

自分がデミロマンティックと自認することはどういう意味があるんだろうか?

といろいろ疑問がわいたので、今回は自分の恋愛傾向を振り返ってみようと思います。


デミロマンティックの一般的な特徴


デミロマンティックの一般的な特徴として、

  • 一目ぼれしない

  • セレブリティークラッシュがない

  • フックアップ・カルチャーが理解できない

などがあります。

ただ、これらに当てはまるからと言って、即、“自分はデミロマンティックだ!”と言えないような気がします。

なぜなら、ネット上でのアンケートでは、ざっと見た感じ一目ぼれを経験した人の割合は5~6割となっています。

セレブリティークラッシュも、一般的には思春期をピークにして、あとは下降していく傾向にあるように思います。

フックアップ・カルチャー(いわゆるワンナイトラブ的なもの)も、だいたいのアンケートで4~6割の人が経験がないとあります。



…うん。あれ?なんだか断定できないぞ??


私が最初にデミロマンティックの特徴を見て違和感を覚えたのは、

なんともあいまいで、ぼやっとしたくくりだな…と思ったことにありました。

「強い感情的な絆や、信頼関係が築かれている関係」の人に対してのみ、稀に恋愛感情を抱く

という定義も、みんなそうじゃないの?と、なかなか自分にズバッとささる感じがしなかったのです。

ということで、今までの恋愛傾向を振り返ってみました。


恋が“発酵”するのに時間がかかる


私が自分の恋愛傾向を考えてみたときに思うのは、“人を好きになるのに超絶・・時間がかかる”ということです。

いいな、好きだなと思っても、そこから恋心をきちんと自覚するまでが、えげつないほど長いのです。

いわば、恋心の“発酵”にかなりの時間がかかってしまう感じです。

好きという気持ちが土台になっているからこそ発酵しているのですが、そこからが、まぁ~とにかく長いのです。

まるで、仮装大賞の得点パネルが1年かけてゆっくりじっくり光っていく感じです。(長っ!てか、遅っ)

そのため、“両想い”という同じゴールを目指しているのに、相手との歩く速度が違いすぎてすれ違ってしまうことがあります。(言ってしまえば、これまでの関係ほぼすべてこのパターンでした。)

例えば、気になっている人なのにLINEの返信を異様に引き延ばされたり(自分は即返すタイプ)、好き避けのような態度をとられてしまったり…。

この発酵時間の長さ、何が問題かというと、まわりに発酵していると気づかれにくいばかりか、自分自身でさえ発酵していることに気づきにくいという面があります。

もちろん、恋心から発生する喜怒哀楽は自覚するのですが、発酵がイマイチ進んでいない状態なので、それが恋心から来ているとハッキリ実感することができないのです。

デミロマンティックの人は、友情と恋愛感情の区別があまりつかず、自分の恋愛感情になかなか気がつきにくい傾向にあるとされています。

もしかしたら、私の発酵時間の長さはそうした傾向から来ているのかもしれません。


関係に名前をつけたくない


友情と恋愛感情の区別が付きにくいことで言うならば、

誰かと強い結びつきや絆を感じたとき、それを定義したり名前を付ける必要があるんだろうか?

と思うことがあります。

その定義や名前にかえって縛られてしまうことはないか?かえって、相手の本質から遠ざかってしまうことはないのか?

と思うのです。

お互いが、お互いのことを大事に思っている。これ以上に尊いことはないのに、どのくらい大事なのか、どこまで大事なのか、

どうして人はいちいち名前をつけたり定義したりしたがるんだろうと、考えてしまいます。

名前をつけたり定義したりすることで、かえって2人の関係性が縛られてしまい、生じなくてもいい責任や義務が生じてしまう気がするのです。

しまいには、その責任や義務に対する価値観がぶつかりあうことですれ違うようになり、次第にうまくいかなくなってしまうのではと思ってしまいます。


デミロマンティックと自認することで何が変わるのか


ネット上では、

えり好みしている
理想が高すぎる
壁がある
デミロマンティックなんてほんとに存在するの?

などと言われ、傷ついたというデミロマさんの声が見られます。

ずっと自分の恋愛指向に悩んでいたけれど、デミロマンティックという言葉に出会って救われたという声もあります。


私は交友関係が狭く、恋バナをする機会もあまりなかったため、誰かに自分の恋愛指向のことで何か言われて悩んだ経験は、正直ありません。

ただ、自分の恋愛傾向が他の人は違うことはうっすら自覚しており、好きな人といまいち歩調がかみ合わないことがずっと謎でした。

それが、自分はデミロマンティックの傾向があることを知って、そういうことだったのね!と、心が軽くなったような気がしました。

自分は“人嫌い”とか“頭が固い”とか“心が狭い”というよりも、じっくり時間をかけて人を好きになるだけなのだと思えたほうが、何倍も心がラクになるからです。


以前、あるYoutuberさんが動画で、「自分は“対人潔癖症”だ。」と言っていました。

なんだか言い得て妙だなと思ったと同時に、

デミロマンティックはおそらく、対人“思考”潔癖症のようなものだと思いました。

個人的に思ったのですが、対人思考において潔癖症なのは、考えすぎの傾向があるパーソナリティ(INFJ)から来ているのかもしれません。

そのため、デミロマさんはINFJタイプ(もしくはHSP)の人が多いような気もします。


さいごに


デミロマンティックをかたっぱしから検索していたら、おもしろいたとえ話に出会いました。

セクシュアリティを“ドア”に例えたとき、

ヘテロ:押して開けるタイプのドア
ゲイ:引くタイプのドア
バイ:押したり引いたり両方
パン:回転ドア
アセクシャル:ドアではなく壁

となる。

では、デミセクシュアル(デミロマンティック)は?

※デミセクシュアルとデミロマンティックは厳密には違いますが、ここでは同じものとします。





デミロマンティックの方なら、ピンと来たかもしれません。



はい、正解は、“鍵のかかったドア”です。

そしてその鍵は、特別な人ひとりが持っているとあります。

特別な人が持っているがゆえに、なかなか鍵を開けられる人が現れないということなんですね。

けれど、誰かに鍵を開けてもらわなくても、自分で開けることができると私は思います。

自分はデミロマンティックなんだと自覚することで、鍵を自分で作り出して自らの手で開けることができる気がするのです。

そもそも、同じセクシュアリティでも人によってそれぞれ違いがあり、デミロマンティックと言う概念が必要な人もいれば、そこまで必要じゃないという人もいます。

私にとっては、デミロマンティックという概念と出会うことによって、自分の恋愛傾向を客観的にとらえることができ、

人とは違う恋愛傾向を持つ自分を前向きにポジティブにとらえられるようになりました。

そして、おかしな話ではありますが、鍵を誰かに開けてもらうという考えではなく、

自分で試しに鍵を作ってみて、開いたらラッキー♪、そんでもってちょっと開けてみて、ダメだったら閉めればいい

と、気楽に考えられるようになったのでした。




こんなデミロマンティックもいるんだ~と思って頂ければ幸いです。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました😊




※補足記事↓↓



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