私の思う私は私のここがすき
心惹かれるお題に出会いました。
“私は私のここがすき”
街中で急に言いだしたらアイツやばくね?と100パー変人扱いされ白い目で見られますが、
さすがnote。
こういう、誰にも迷惑をかけないで自己肯定感があがるような取り組み、もっと増えればいいのに(謎の上から目線)
ということで、さっそくこの場を借りて私が思う“私は私のここがすき”を、書いていこうと思います。
その1:笑わせようとしていないのに笑われる
たまに行く皮膚科で、いつもおじいちゃん先生だったのに若いクールなイケメン風?の先生だったとき。
「前にいただいた薬をもらいたいんですけど…」
「前の薬ですね。どこに使いますか?」
「こことかこことか…。」足や腕をさす私。
「わかりました。出しておきましょう。」
「ハイ!ありがとうございます!」
「はい、じゃあもういいですよ。フフッ」
…フフッ?( ˙-˙ )
私はなぜかお医者さんに見てもらうときに、入隊試験受けに来たんですかってくらいハキハキ受け答えするクセがあるのですが、
そんな律儀な対応がおかしかったのか、笑わそうと思ってなかったのに笑われてしまったことがありました。
…あれぇ、私“愛され系ゆるふわ女子”じゃなくて、
“ワラワセヒトモドキ”とか
“ワラワセヒトダマシ”とか、
別の生き物目指したほうがいいのかもしれない…。
と思いました。
はい、そんなくだらないことを考える自分が好きです。
勝手にテンパって、笑わそうと思ってないのに笑われちゃうこともあります。
心の広い人はそんな私を「天然だね」と言ってくれるので、助かって(?)ます。
その2:“レア”がいっぱいある
私は家の換気扇の囲いに頭をぶつけるくらい背が高いのですが、
割合にすると全国で0.1%以下でした。
あと、生まれつき永久歯の生えない歯が4本あり、歯列矯正をしてました。
(※調べると、欠損歯といって10人に1人の確率でいるようですね。)
あと、親族が勝手にネット上に家系図をアップしているので、
自分の名前を検索するといろいろな個人情報が出てきます。
あれぇ、ひいひいひいおじいちゃんの名前ってなんだっけ?
そんなときは、Google先生が教えてくれます☆
個人情報保護法とは、いったいなんぞや。(親族には絶賛クレーム中)
その3:性別が不明
私は高身長に加えて名前も中性的です。中性というかほぼ男性の名前です。
性格的にも女性っぽくないところがあり、
姪っ子がまだ小さかったとき「おとうさんみたい」と言われました。
また、子ども関係の仕事をしていたとき、「ねぇじぃじ」と話しかけられたことが3回くらいありました。
その子は「あ…間違えちゃった😅💦」とガチで恥ずかしそうにしていたので、本気で間違えたようです。
どちらかというと、私はその子のじぃじよりもパパに背格好が似ていたのですが、
なぜだかパパと言われたことはありませんでした。
そんなじぃじ、ある時お迎えに来ていたのに近くの公園のベンチに座り、たそがれていました。そんなじぃじに、妙に親近感。
また、福祉の仕事をしていたときに、“おじさん好き”で有名な利用者から異様に好かれたこともあります。
勤続10年以上の人も首をかしげるほどの現象でした。今でも謎です。
私のうしろに、“おじさん”か“おじいさん”がいるのかもしれません。
なので、絶賛性別迷子中です。けど、そんな自分が好きです。
とても気に入っています。
その4:深く物事を考えるところ
私は、自分が感じたことやモヤモヤの正体を突き止めたいと考えるところがあります。
常になにかを考えてます。
過去にも、
などなど、記事にしてきました。
高尚で気取った言い方をすると、
個人的な経験から、普遍的な法則を見出すのが好きです。
それを共有して、他の人に役立ててもらえることが喜びです。
その5:人に対する嗅覚が鋭い
私は直感的に、人の好き嫌いを決めてしまうところがあります。
それがすべて正しいわけではありません(あとから印象が変わることもあります)が、
ある程度の人に対する勘は当たっているところがあると思っています。
以前、一言もしゃべったことがないにもかかわらず、目線や仕草などからこの人苦手かも…と思った人がいたのですが
実際話したあとでも、その人の印象が変わることはありませんでした。(他の人からもあまりよく思われていない人でした。)
また、電車で向かい合わせの座席の窓側に座った時に、強面の男性が通路側に座っていたことがありました。
けれどなんとなく仕草をみていると、怖そうな印象はそれほど受けず、
なんかこの人いい人そう…と思ったんです。
そして、奥の座席に座っていた私は降りる駅になり立ち上がった瞬間に、
それを察知した強面の男性は素早く立ち上がり、私が通りやすいように道を開けてくれたんです。
やっぱり!勘があたった!と、少し嬉しい気持ちになりました。
完全な自分の中の偏見ではありますが、そんな自分の人に対する嗅覚の鋭さが気に入っています。
そのため、人生においてやっかいな人には関わることはないという、謎の自信があります。
まだまだありますが、ここらへんで止めておきます。
私は私のここがすき。
よく考えると、とても深い言葉です。
よく、“ありのままの自分を好きになりましょう”と言われたりしますが、
それができたらどんなにいいかと思ったことはないでしょうか。
ダイエットを決意したのに三日坊主で終わる自分
思ったことが言えなくて流されやすい自分
他人からの些細な一言をいつまでも引きずってしまう自分
そんな自分もひっくるめて好きになろうといっても、それは無理があります。
また、あまりにもその言葉にとらわれすぎてしまうと、
ありのままの自分を愛せない自分は、なんてダメな人間なんだろう…と
ますます自己嫌悪が加速して、よけいに自分を好きになることから遠ざかってしまったりもします。
ムリしてまで自分を好きになる必要もない気がします。
好きとか嫌いじゃなくて、それが“自分”と認めること。ただ、それだけ。
三日坊主な自分も
臆病すぎる自分も
繊細すぎる自分も、自分なのだ。
そして、それでいいのだ。
“私は私のここがすき”というのはつまり、
“私は(直したいなと思うところもあるけど、とりあえずそんな自分も自分だと開き直って生きていってもいいんじゃない?と思っている)私のここがすき”
なのではないかという私なりの解釈を書かせてもらって、この記事を終わりたいと思います。
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