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暑い日の蕎麦の記憶


先日50歳を迎えたが、ある日昼食に蕎麦を食べているとふと30歳になった時の事を思い返していた。あの日も暑い中蕎麦を食べていたっけ。状況は今とかなり異なるけど。

当時の私はインドのコルカタに住んでいる演奏家に師事していた。日々楽器の練習やらレッスンやらコンサート鑑賞やら雑談やらトランプやらを同じ目的で滞在している個性的な面々達とそれらを満喫する日々だった。

コルカタは冬の間は過ごし易いが、2月中旬くらいから段々と気温が上がって来る。3月になると長期滞在者はもう脱出だと言わんばかりに皆帰国し始める。私もいつもなら帰国するのだがこの時は新しい楽器をオーダーしていてそれが完成するのが6月辺りと言われていたので仕方なく滞在していた。

このシーズンになると酷暑で1日に出来る事も限られる。練習も捗らずかと言って読書や昼寝をしていても頻繁に起こる停電でファンが止まる。生きるも死ぬも地獄な様相だ。楽しみと言えばこの時期に旬を迎えるマンゴーとライチを冷蔵庫で冷やして食べる事くらいだった。

日々の食事もカレー味やスパイスのインド料理に飽き飽きして干からびていた私達だったが、帰国も近くなっていたので荷物を整理していると日本から持参してすっかり忘れていた蕎麦の乾麺とめんつゆを一瓶見つけた。私はタブラを習っていたA君を誘い蕎麦を茹でる。冷蔵庫で冷やしていたミネラルウォーターをめんつゆに注ぐ。


その時のざる蕎麦は枯れた木が雨を浴びて生き返る様に私達の血管の隅々まで染み渡った。余りの美味さに私とA君は思わず雄叫びを上げる。

自分にとってインドに行く目的は楽器を師事する為だったが、日本で新たな先生を見つけた事でかなり人生のベクトルも変わった。30歳を境に海外との縁が遠くなって行った。あの時一緒に過ごした面々とも次第に疎遠になった。今でも連絡を取り合うのはほんの一握りの人だけだ。


あれから20年経って私は50歳になっているのだが、あの日はつい2週間くらい前の様な感覚だ。気の利いた薬味も付け合わせも何も無かったのにどうしてあの時の蕎麦はあんなに美味しかったのだろう。


それが若さが成せる業であるのなら若いってそれだけで財産だったなとクーラーの効いた食堂で当時よりも遥かに気の利いた薬味とかき揚げの蕎麦を食べながら蘇る記憶に舌鼓を打った。


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