はじめてのメンタルクリニック

このノートから見始めていただいた方はぜひ前回の記事をごらんください。

私は勢いでメンタルクリニックを予約しました。診察してもらおうと思えば診てもらえる場所くらいの認識でいましたが、実際に予約が取れたのは2週間後でした。平日であれば予約は取れただろうですが、休日しか行けないということも要因でしょう。

私が想像するメンタルクリニックは「禍々しく暗い場所」という場所でした。しかしそのクリニックはかなり新しく雰囲気も良い場所でした。

名前が呼ばれ、看護師さんとのカウンセリングが始まりました。まさか幼稚園の頃から自分がどのような性格だったのかを聞かれるとは思いませんでした。カウンセリングでは高校生の頃まで聞かれてそこから先は診療の先に聞かれました。

先生はとてもいい人でした。診療でいまの症状や気持ちを説明した際にとても理解をしてくれました。もし休職したいのであればすぐにでも診断書を発行していただけるとのことでしたが当時はまだ頑張りたい、まだ頑張れる、これを乗り越えられると思っていました。精神的不安は甲状腺の状態と関係があるとのことだったので採血をし診療を終えました。

お盆休みの時期であったのでとりあえず服用をしてみて様子を見てみましょうとのことだったので2週間後に再診が決まりました。抗不安薬のロフラゼプと睡眠導入剤デエビゴをいただき治療が始まりました。

抗不安薬の効き目はよくわかりませんでしたが、睡眠導入剤は抜群に効きました。
今まで入眠までに時間がかかっていて、寝付けてもすぐに目覚めてしまうことが続いていましたがすぐに深い眠りにつくことが出来ました。
深い眠りにつくことができたのは実に2ヶ月ぶりくらいだったと思います。

そして再診の日。薬を飲み症状を確認しながら仕事を続けまた2週間後に再診のという形になりました。採血の結果も報告されてましたが、夕食は惣菜をお酒で流し込む生活が続いていたので肝機能が悪化してるので気をつけましょうと言われたときはとても恥ずかしかったです。

会社はお盆休みに入りましたが、コロナ禍が故に実家に帰ることができませんでした。(許されなかったに近い)

しかし誰かに会いたい。秋田から離れて心をリフレッシュできるところに行きたい。神奈川に行ったら友達と会ったりして秋田に戻ることができなくなると思い長野の祖母の家に行くことにしました。
父と母は関係良好ですが、少し認知症気味の祖母を介護するために母も長野に拠点を移して生活していることも理由の1つです。

コロナ禍での県外移動はあまり推奨されることではないですが、当時のメンタルを考えるとこれが1番の回復方法だと思いました。

やはり家族と会うことはリフレッシュすることができました。長野でどこかに出かけることはしませんでしたがかなり心が楽になりました。

休みが明け憂鬱な気持ちで出社をしました。仕事内容もデスクワークから段々と実践的なものに変わり気持ちも切り替えて仕事ができていました。直属の教育係の先輩だけでなく他の営業担当の方との同行も増え新鮮な気持ちでした。残業することも増えてきましたが、やりがいは感じていました。

仕事に対してモチベーションが上がり、乗り越えることができると思い込んでいましたが、とあることをきっかけで完全に感情のコントロールができなくなってしまう出来事が起こりました

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