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《あの頃のイースト・プレス》|#04

2002年入社、デジタルコンテンツ部の小林です。
入社前、私は編集からDTPまで行う編集プロダクションで編集者として勤務していましたが、間近でDTPデザインの仕事を垣間見るうちにその魅力にひかれ、転向することにしました。興味のあった雑誌作りに携われる求人を探していたところ、「DTPオペレーター(未経験可)」というイースト・プレスの求人広告に目がとまり、早速応募しました。

当時会社は、神保町すずらん通りのパチンコ屋に隣接した地味なビルの6階にありました。
面接当日、緊張していた私は道に迷い、約束の時間を過ぎていることにさらに焦って正面玄関を見つけられず、ビル裏手の非常階段から登場。内心「落ちた〜」と諦めながら挨拶すると、面接官の初代部長Mさんとネット事業部長Fさんが思いのほか温かく迎えてくださいました。

なんとか挽回しなければと思い直していたところ、「こういうのも大丈夫?」と1冊の本を手にした創業社長の小林さんが現れました。開いたページに目を向けると、女性の体が露わになった絵や写真が満載!……ウワ〜。動揺を隠せませんでしたが、笑顔を作って「大丈夫です!」とお答えしました。
あとから知ったことですが、その本は社長が自ら企画した『幻の性資料』というシリーズ本で、私が女性であることを気遣って確認してくださったとのことでした。また、私の苗字が社長と同じことを気にされたようで、「名前、変えてみようか?」と提案が。はじめは冗談だと笑っていたのですが、芸能人をもじった名前などいろいろと案が出され、なんだか悩んでいる様子。…本気ですか?……そうしますか!?…と腹をくくり始めた頃、初代部長Mさんが止めてくださり、なんとか改名せずに入社となりました。


初仕事は、電子書籍用に写真をスキャンして整理することでした。今ほどは広まっていなかった電子書籍。すでに始めていたんですね!
写真の扱いに慣れた頃、あの『幻の性資料』の仕事が。女性の下半身がこれでもかと露わになった百枚近い紙焼き写真を大量にスキャンし、パソコン画面いっぱいに拡大してはPhotoshopで汚れを消して……と手分けして行いますが、その作業はお昼をはさんで1日中ということも。おかげさまで、今ではどんな仕事でもドンと来いの境地です。

その後、占い専門雑誌『恋運暦』(のちに『開運帖』に名称変更)のページレイアウトの仕事が入ってきます。
通常のページ作成のほかに、付録のタロットカードや護符、シュシュ、手ぬぐいなど普段はなかなか体験できない仕事もありとても楽しかったです。大変だったのは、占いの結果を導き出すための表を指定のページ数におさめることでした。文字の大きさをギリギリまで小さくしたり字間を詰めたりと地道な作業の末にやっと完成したと思ったら、保存前に突然パソコンがフリーズ!なんていう失敗もしょっちゅうで、入稿間際で修正が入る時はハラハラしながら作業しました。

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また入社後しばらくは、カラーページの色味確認は家庭用のインクジェットプリンターで行なっていました。時間もかかるし色味も違うので、大抵はPC画面でおおまかにチェックしたら後は色校で、となるのが普通でした。
が、急遽カラー用レーザープリンターが導入されるきっかけが。トイ事業部(通称オモチャ部。現在は廃部)のWさんが、入社早々「色の確認ができません!」と社長に掛け合ってくれたのです。「コミック・キュー」とコラボしたベアブリックや、丸尾末広『人間豹と少年探偵』のフィギュアなどコレクションアイテムを企画製作する特殊な部署だったこともあり、めでたく導入となりました。

『恋運暦』は、島田秀平さんやゲッターズ飯田さん、星ひとみさんなど錚々たる方々が執筆陣に名を連ね、王道の占い以外にも藁人形の作り方や人毛を使った黒魔術的なおまじない、編集長考案のスイカのタネ占いなんかもあったりとバラエティに富んだ内容で、貴重な経験をたくさんさせていただきました。
現在、雑誌はすべて休刊となっていますが、過去にはガン治療ガイドや格闘技、相撲、サッカー、太極拳、ダンス、韓流、動物、ゲームなど多彩なジャンルの雑誌があり、それぞれに思い出がありますがこのへんにしておきます。
それではまた。

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