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『光線とイニシエーション』の( ..)φメモメモ③

『光線とイニシエーション』はアリスベイリーの著書の中では最後のものなので、かなり難解。AABライブラリーのページにある難易度では、他が**なのに対して、これと『宇宙の火』は***である。

他の著作と何が違うかというのはもろもろあると思うのだけれど、読むにあたって最初の心構えとして、気づいたことを書いておくと・・・。

パーソナリティ・魂・モナド、もしくは体・魂・霊の3分節で説明をすると、**の著作は、パーソナリティと魂の統合について書かれているのにたいして、***は、既に統合されたパーソナリティと魂を前提として、魂とモナドの統合、合一について書かれている、ということを充分に意識して読まないと、切り替えができない。

第1様相 意志と力
第2様相 愛と叡智
第3様相 創造的知性

のうちの、長らく第2様相を意識してきたところを、第1様相に切り替えが必要ということなのです。そして、人間はまず、愛を学んだうえで、次に意志と力を学ぶという順番は、とても大事。

非利己的に自身への集中を解除する能力が成長し発達するにつれて、グループ生命とグループの善がより大きな全体の不可欠な部分とみる点に熱誠家は到達する。このより大きな全体は存在そのものであり、形態とは無縁であるが、顕現している間は形態を通して働き、計画的な目的をもって働いている。そのとき、知性と愛だけでは十分ではなく、愛をこめて適用される活発で知的な目的である意志によって、それらが補助され、実行に移されなければならないという認識が成長する。

『光線とイニシエーション(上)』71より


 それらは「豊かな命」(ヨハネによる福音書・第10章第10節)といおうキリストの言葉の意味を熱誠化が理解し、やがて表現することを可能にする特質をひめている現存する唯一の定式文つまり具体化されたテクニックである。この言葉はシャンバラとの接触に関係しており、その結果として意志様相を表現させるであろう。祈願と喚起の過程全体がこの考えに結びついている。下位様相は常に祈願する要素であるが、これは進化過程全体の根底にある不変の法則である。それは必然的に相互的な過程であるば、時空間内においては大まかに次のように言うことができる。下位のものが絶えず高位のものに祈願し、祈願の要素が示す理解の程度とダイナミックな緊張に応じて、高位の要素が喚起され返答すると。このことを多くの人が認識していない。あなた方は喚起の過程では働いていない。この言葉は単に、祈願が到達したものからの応答を意味するに過ぎない。下位様相つまりグループの仕事は祈願的であり、この祈願的な儀式が成功することが喚起と呼ばれる。
 したがって、あなたの生活が根本的に祈願的になったとき、意志の喚起が起こるであろう。パーソナリティと魂が融合され、一つの意識的に混ぜ合わされ集中した単位として機能したときに初めて、真に祈願的になる。

『光線とイニシエーション(上)』56~57

祈願と喚起という言葉が印象に残った。
しかも、グループでの祈願。自分の願いことではない。魂は利己的ではないから、自分のことを祈るわけではない。

知性と愛(と叡智)、形態の世界の真理を理解したときに、その世界のあるべき姿、または神の計画を一瞥するのではないかと思う。そうした時に、正しい態度で祈ることができるのかもしれない。

しらんけど。思いついたことの( ..)φメモメモ。

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