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無力感のスパイラルに陥らないために~自然の中に自分の姿を見いだす

ここのところ、外なる世界で起きていることを見聞きするたびに、何か憤りのようなものがわいてくる。何に自分は憤っているのかを見た時に、前に似た感覚を体験したことを思い出す。

それは、うちの向かいの木々が突然伐採されたときに感じた感覚だ。立派な木々が何本も切られ、おまけに土が削られて、新しく道がつくられ、風景が変わってしまった。その時に感じた憤りと悲しみに似ていた。

人間ひとりひとりを植物にたとえるならば、ひとつひとつが植物の種であり、そこから自分らしく成長する。そのために適した環境であることが、この人間社会の理想だと思っている。

その環境が破壊され、汚染され、だんだんと植物も育たないような場所にされつつあること、こんな世界では、ひとりひとりが自分らしく生きることができないことに、毎日流れてくるニュースを見聞きするたびに感じている。そこに憤りを感じ、油断すれば無力感のスパイラルにはまる危険性を感じているのだと思った。

しかし、まてよ、と思った。

木々が切られ、土が削られた場所はどうなったかというと、切られた木はもちろん戻らないものの、1年もたたないうちに、草がボーボーになっていることに気づいた。これが生命力だと思った。荒々しく、調和のとれた場にはなっていないものの、植物たちは太陽に向かって、ぐんぐんと繁殖していた。いずれ長い時間をかければ調和した森になっていくのだろう。

おそらく、人の中にも、その力がある。ここで大事なのは「生命力」だけではなく「太陽に向かって」という方向性だ。太陽の光と熱を感知する知性が植物にあるように、人間の中には真善美を感知する知性と、そちらに向かおうとする意志が閉じ込められている。

世界が荒れ地になってしまいそうな今、方向感覚と意志の力が大事なのであろうことを、植物から教えられた気持ちになる。

宇宙は人間が己の生命の姿を外に見ることができるように、地球に植物たちをつくったのではないかと思う。

人間ひとりひとりの中の生命の種が、真善美に向かう意志力を発揮できますように。

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