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大きな流れに身をゆだねる生き方。

【引き寄せ】という言葉がある。昔からあったんだろうか?それとも最近割と流行ってきた言葉なのだろうか。なんかいつの間にか【断捨離】ぐらいみんなが使うようになった言葉という気がする。ひとつの行動、ひとつの言葉。それを放ったあとに自分にとって「こうあってほしいこと」が舞い込んできたときに”引き寄せた!”と言ったりする。

けど僕はじつは引き寄せという言葉がなんとなく苦手だ。それは誰かがこの言葉を使うことに対して嫌な気持ちになるということではまったくない。自分が世の中の大きな流れに対して、それを自分の側に「引き寄せた」という感覚が自分にはおこがましいと勝手に思っているから使わないようにしているだけだ。

世界で自転車旅を続けてくる中で痛いほど思い知らされたこと。それは自分ではどうしようもないことが世の中にはたくさんあるということだ。そしてそれを受け止めることでしか、次に向けての一歩を踏み出せないという体験をしてきた。それはチベットでの高山病、冬のカナダの大雪、強盗事件、交通事故などなどなど。

自分で動かしようのない、モノやコトはたくさんあるけれど、けれど自分の思うこと、話すこと、行動は世界に繋がっているとは思っている。

人生にはなんとなく中心線みたいなものがあって、それはその人本来の姿というか、その人が決めて生まれてきた道というか、なんとなく自分ではとらえきれない大きなモノなんだけれど、それでも自分の深く中心のところで息づいているもの。そんなものがあるように僕は人生をとらえてる。

その中心線みたいなところから、自分は近づいたり離れたりしている。モノゴトを頭だけで考えたり、自分の本心に対して素直じゃないときには割と離れちゃって、なんとなくこっちがよいなぁとか、よーし直感に従ってみよう!とか損得勘定抜きで動いているときとかは、結果の良し悪しはどうであれなんとなくその中心に自分はちょっとだけ近づいてる。そんなふうにざっくりと僕は人生の中心の線みたいなものについて考えている。

その中心の線に近くいるときに、なんとなくだけれど「こうだったらいいなぁ」が現実に起こることが割と多いと思う。それは望んでいたことがそのままのカタチでやってくることだけじゃなくて、思いもしなかったおもろい事がやってくることも含めて。そんなときに、なんとなく僕は世間一般で言われる【引き寄せ】みたいなものを体験しているのかもしれないけれど、僕の感覚はあくまでこうだ。

【自分が世界やモノゴトを引き寄せてるんじゃなくて、自分がおおきな川の流れに近づいていって、それにうまく乗っているとき。必要なものがそんなに多くはないけれどやってきたり、自分に新たな、けどその先に行くために必要なきっかけがやってきたりする】

そんなふうになんとなくだけれど自分や自分の人生をとらえていくようになった。自分探し、自分を作っていく、そもそも自分なんてない。世の中には人生を語るいろんな言葉があるけれど、僕はなんとなく【自分の人生というのは自分である程度決めてこの世に生まれてくる】ものなのかもなぁとざっくりと思っている。

見通しを立てる。目標を立てる。

というのは、僕の中ではどちらかというと「頭で考えに行く」先にあるもののほうが多くて、なんとなく僕は「ざっくりとしているんだけど、イメージが頭の中にあってそれに向かいながらもちょいちょい寄り道したり、新しいものをやってみたり、けど大きな意味ではそっちに向かってる」ぐらいのものにしている。

特に今回やっているdailylifeがその実証実験みたいなものだ。今日やることを今日決める。今日行く場所を今日決める。なんとなくおもしろそうだから乗っかってみる。誰かに頼まれたときに、あまり考えずに受けてみる。

そんなことを今回の旅でやってみて、恐ろしくスケジュールが伸びていくことが判明した。ほんとなら僕はもう東京にいるぐらいだと思っていたのに、いまでもまだ北海道にいたりする。つまり見通しが立たない。

けれどそこで起こること、出会う人、そのときの自分がなんだかとても心地がよくて、そして「あ!これって前にこうなればいいな!って思ったことやんか!」みたいなものがその中に紛れていたりしておもしろい。

今回のdailylifeを日々目の前の起こることではなく、ざっくり、少し上の方から見下ろすとこんな感じだ。美空ひばりさんではないけれども、大きな川の流れに身をまかすような感じで、今回の旅はもうしばらく続けていきたいと思っている。


自分の人生を実験台にして生きているので、いただいたお金はさらなる人生の実験に使わせていただきます!