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僕はひとりになりにゆきたい

ひとりっ子です。

と書いてから気づきましたが、違います。弟がいます。17歳離れた異父弟が。

彼が産まれてから、殆ど同居してないので、未だにひとりっ子気分です。
だいたい母にしても、それぞれの子供単体だとひとりっ子だと思ってしまうしく、
「この子はひとりっ子で…」
と、何度紹介されたか。弟も同じ経験があるそうです。

彼とは仲は悪くないですが、一緒に住むことはおろか、近所にも住むのはやめようね、と彼が10代の時から言ってました。

母の弟が、母名義の土地になんの契約もなしに建て、後年それが大問題になり、しかもその隣に母も家を建てたので険悪さは増すばかり。
私自身、叔父(とも普段呼びませんが)の葬式には行かないから知らせないでね、と母に言ってあります。

身内って、距離感が難しい。

とにかく幼少期はひとりっ子であり、かつ親戚中で当時唯一の子供であり、大した家ではないのですが、跡取り、として育てられました。

祖父母からの溺愛、叔父2人の情愛、親戚からの過干渉で、3歳くらいにして、すっかり人間不信になりました。母は愛情はあったのだと今は思いますが、当時はあまり関わらない、一番遠い人でした。
過剰なものはなんでも負担ですね。食事も体重も、愛や好意も。

他にも要因はありましたが、20歳で家を出て、ずっと一人暮らしです。
長く付き合った人もいますが、一度も誰とも同棲した事がありません。
たぶん、北でも一緒には住めないと思います。

一人暮らしは長いですが、そんなに生活力があるわけではありません。
まず極度の高所恐怖症で、30センチくらいの台に登るのも怖い。それでは蛍光灯も変えれない。
また、料理はたぶん得意な方ですが、他の家事がいただけない。
掃除はしますが、目につくところしかしません。
テレビの裏とか、普段使わない棚の上とか、埃が層になってます。不快ではありますが、年に一度の大掃除の時ですら数年に一度しかしません。
普段使うのでトイレ掃除だけはこまめですけど。ま、またいつトイレに挟まれるかわかりませんから。
換気扇は、高いところにあるので出来ないのと、分解の仕方がわからない。
洗濯はしますが、畳むのが致命的に苦手です。
実家で使っていた衣装ケースを今も使ってますが、母が畳んだなら収まった物が、半分も入らない。だいたいが干す時から斜めになっていたりシワになっていたり。
握力が弱く、重い物が持てない。2kgが限度です。病院で調べてもらいましたから、仕方ないんですけど。

握力はしょうがないとして、他はわかってるけど改善しないんですね。

それでも30年一人暮らしなので、どうにか折り合いつけてやってきたのですが、メサイアコンプレックスの北と出会ってから、かろうじて身についた生活の知恵的な物が一切なくなってしまいました。
重いものは持つ、高いとこの作業はしてくれる、気付けば細かいところの掃除を始める、軽いDIYならしてくれて部屋が快適になる、運転免許は持ってますが、運転が苦手なので常に車を出してくれる。
流石に洗濯物は自分でしてますが、それ以外の事が全部出来なくなりました。
もう電球の型式を調べたり、PCのセットアップもしません。
前はできていた事が出来なくなりました。
なかなか書いてると怖いですね。廃人製作機なのかな、北は。

そんな北でも、数泊ならいいですが、常に一緒にいる生活はできそうにないです。

他にも理由はありそうですが、とにかく幼い頃の過干渉、過剰な愛情に、未だにうんざりしてます。

まあ、歪んでますが、北に支えられながら、それでも一人暮らしをして、今後も続けていくんでしょう。

そうして、思い出すのは去年の事です。
今時珍しい手書きの封書が届きました。
宛名に心当たりはありません。
パニック障害の私は、普段から郵便物もまとめて北に開けてもらっていたんですが、その時は何故か開けたんですね。
字が、私に似ていたからです。
そうして開くと、それは実父の姉という人からの手紙でした。
平成2年に実父は亡くなっていた事、去年の6月に私にとって祖母にあたる人が亡くなった事、家などの処分にあたり、司法書士さんに依頼して、初めて私の存在を知った、一度お会いしたい。

実父が亡くなっていたのは知ってました。田舎なので親切な人(嫌味です)が教えてくれました。また、実父も結婚して、男の子が2人、女の子が1人いることも。

私が身内を嫌悪するのは、これの影響もありました。
私の知らない、弟妹。
なんだか気味悪く厭わしい。

まあ、49年越しに弟や夫の隠し子を知ったあちらにしたら、そのまま返すわ、という感情でしょうが。

普段ならないことなのに、私は書かれていた電話番号にコールしてました。

初めて話す父方の伯母は、思いもよらず優しく、すぐ電話してくれたことに感謝してくれました。

司法書士さんを交え、とにかく一度の会いたい、都合は合わす、とのこと。
私は病気の事は詳しく話しませんでしたが、1人では出かけられないので話し合いに北の同席を求めましたが、受けいられました。

話し合いの席では、その伯母、代表として父の妻、司法書士さん、私、北が揃いました。

なかなかに立派なお宅で、立地も悪くなく、あらかじめ北と話してたんですが、これは相続放棄をして欲しいの話し合いだな、と思いました。
父が亡くなっているので、代襲相続が発生します。
もちろんそのつもりで来ていたので、問題ありません。

しかし、話し合いになると、状況が違います。

祖母にあたる人は、父が亡くなったあと、すぐに公正役場で遺言状を書き換えていたらしいです。全ての遺産は伯母に残すと。
それはいいです。異議申し立てもする気はありません。
厄介なのは、その家屋に父の名義が入ったんですが、亡くなった時なんの手続きもしなかったため、今さらそれに対しての遺産相続が発生したと。
最初に、何気なく、父が亡くなったことを知っているか、と聞かれて、知ってましたと言ったことを悔やみました。
その死を知ってから3ヶ月経過した相続放棄は基本認められないのです。
司法書士さんは、出来るのは出来ます。ただ、非常に面倒な手続きになり、また、父の亡くなった場所の管轄裁判所での手続きが必要で、なぎさんには半年から1年、そこに通って手続きをしてもらう必要があります。そうして、認められるとは限りません。
悩みました。すっかり遺産放棄すればいいだけと思っていたので。
しかも、せめて伯母からまだしも、相続の関係性、父の妻だった人が支払うのです。
まだ結婚前のとはいえ、いきなり現れた隠し子に、その妻がお金を払う?ありえないと思いました。

しかし、私と北以外の人はこれが当たり前と思い、私がうんと言うのをただ待っているのです。

3週間猶予をもらい、自分でも調べ北とも話し合い、結局は相続することになりました。

話し合いは終始和やかに進み、そうして、伯母は、
「来てくださってよかった。どんな人かと思っていたけどあなたでよかった。電話すらもらえないのではと思っていた」
と仰りました。

親族間、近しくされているのかと思ってましたが、伯母は嫁いでから、実家との交流はほぼなかったそうです。
父の妻とも、20年ぶりに会ったとか。
実家も場所を変えて建て替えられ、この家に来たことが殆どないと。

「この地域のことも、なにも知りません。なにも」

結婚されていますが、血縁と基本的に付き合わない理由はなんだろう。
折り合いが悪かったのかどうか。
父が亡くなり、一人娘となったこの人と母親との関係はどうだったのか。

ぜんぜん違うとわかってましたが、親近感に似た感情が湧きました。

良い方でしたが、相続が終わればそれまでの関係です。

なにかあったら頼って、と言ってくださいましたが、もう会う事はないでしょう。

近づきすぎると駄目になる、そんな強迫観念がありますし、そもそも伯母ではありますがあまりにも他人です。

でも、そんな遠いところに来てくださる方が、安心して慕えます。

最後は孤独死かな、となんとなく思ってます。
まあ、体調崩せば、間に合えば北が病院に連れて行ってくれるでしょうが。
7つ年下の北が、先に逝ったら?

昔、お互いが50を過ぎたら、契約結婚しようかと北に言われた事がありましたが、親戚を作りたくありません。

北がいないと生きていけないけど、北とずっと一緒にいるはいや。無茶苦茶な事を言っていますが本音です。

孤独はそんなに悪いことでもないと思ってます。
その方が、会ったときにより愛しく大切に思えるから。

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